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[125] Re:[123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/30(Tue) 18:37  

[124]の続き

推測すると〜
同じ塚田姓の半次郎さん、秀蔵さん、りうさんは、兄弟姉妹の関係にあり、
りうさんが猪原姓の男性と結婚し、秀蔵さんの6男・憲一さんを猪原家の養子とした
猪原一家は屯田兵家族として一已に入ったが、何かの事情で転居した〜とみることもできそうです。

一已97番地の戸籍の戸主は、半次郎さんでしょうか。
その戸籍から、それぞれの人物の関係はわからないでしょうか。


[124] Re:[123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/30(Tue) 17:28  

1.塚田半次郎さんは明治5年生まれ、憲一さんは明治25年生まれ(当時としても、兄弟とはやや考えにくいように思われる)

2.憲一さんの子孫の情報として
憲一さんは養母の「猪原(旧姓・塚田)りう」さんとともに、香川県阿野郡から一已経由で道東に転籍した

3.憲一さんが塚田秀蔵さんの6男として生まれた



[123] Re:[122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/06/29(Mon) 22:48  

憲一の生年月日は、明治25年9月12日で、塚田秀蔵さんの六男として生まれています。

戸籍にはまさしく、一已村字一已97番地と記載されています。


[122] Re:[121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/29(Mon) 10:41  

北海道屯田倶楽部刊行の「屯田兵名簿」によれば

1.半次郎氏は明治28年5月に香川県阿野郡鶴岡村から北一已に入地
2.明治5年3月7日生まれなので、当時23歳
3.孫として「繁雄」の名が記載されている

半次郎氏は兵屋番号97番で、当時の住所も一已村97番地と思われます。
お手元の戸籍簿には一已の住所がどのように記載されていますか。
憲一さんの生年月日から、半次郎・繁雄氏らと関係があるとすれば、どんな関係かある程度推測可能かも知れません。




[121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/06/29(Mon) 06:14  

私の曽祖父である猪原憲一は、三歳で一已に来ていることが戸籍でわかっている。また、一已以前の戸籍は廃棄されており、戸籍による調査ができない、

調べてみると、猪原憲一は一已屯田兵の塚田半次郎の弟にあたるようだが、確証が得られず、家系を調査することができなくなっている。

塚田半次郎の同居親族等、どんな資料でも構わないので塚田半次郎に関する資料が貴団体にあれば是非教えていただきたいと思います。



[120] 屯田兵住宅の屋根構造 投稿者:堀内正純 投稿日:2019/10/29(Tue) 12:04  

NPO法人日本外断熱協会の堀内と申します。11月8日に北大において北大大学院菊田研究室と共催で『札幌とドイツにおけるSDGsと建築断熱』セミナーを開催します!その際、講演を行うドイツ建築家ヴォルフガング・レーナート博士は、富岡製糸工場についてドイツで本を出しました。富岡製糸工場はフランス人技師の指導で構造(トラス)が作られました。このようなトラスが屯田兵住宅にも使用されているそうで、札幌近郊の屯田兵住宅見学を希望しています。江別と琴似の屯田兵住宅を見る予定ですが、前記について情報をお寄せください。

http://sotodan-jaei.org/


[119] 砺波から移民した話を聞きお尋ねします。 投稿者:上保 利 投稿日:2019/09/22(Sun) 13:10  

砺波から移民した先祖について、お尋ねします。
神奈川に住む、上保と申します。よろしくお願いします。
戸籍や除籍謄本をたどり、高祖父の名前(上保孫三郎 妻トメ)を知りました。
色々と先祖ルーツを探してましたら、富山県に遠い遠い親戚にたどり着きました。
その親戚の話によると、明治初期に.北海道の開拓に出たと聞き、調べております。
何か、手がかりがつかめればありがたいと思いコメントしてみました。
よろしくお願いします。


[118] Re:[117] [110] 木内の本家についての情報 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/08/23(Fri) 02:21  

戸籍・除籍謄本には、転籍前の徳島県何々郡何々等の詳細の情報が記載されています。村までの詳細の記述は、消されているかもしれませんが、周辺を探せば、見つかるはずです。

戸籍・除籍謄本は、役所でも保存年数がきまっており、経過してしまうと廃棄されてしまいますので、お早めに取得することをお勧め致します。


> 市役所で、木内武治郎 様 の戸籍を取得してみてはいかがでしょうか。
>
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> > 私は明治22年7月に篠路兵村に入植した木内武治郎の子孫です。
> > 入植以前に徳島藩と稲田藩の間で「稲田騒動」が起こたことは
> > ご存知の通りです。
> > 「屯田兵名簿」には徳島県と記載されているだけで、出身の村や町
> > に関する記載がないため、徳島藩なのか、稲田藩のなのかの判別
> > ができない状況です。
> > 私の推測ですが、出身の村や町に関する情報は本家に残ってい
> > るのではないかと推測しています。
> > お知り合いに木内姓の方がおられましたら、どのような情報でも
> > かまいませんので、情報をお寄せください。何卒 よろしくお願い
> > します。
> >


[117] Re:[110] 木内の本家についての情報 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/07/23(Tue) 09:30  

市役所で、木内武治郎 様 の戸籍を取得してみてはいかがでしょうか。





> 私は明治22年7月に篠路兵村に入植した木内武治郎の子孫です。
> 入植以前に徳島藩と稲田藩の間で「稲田騒動」が起こたことは
> ご存知の通りです。
> 「屯田兵名簿」には徳島県と記載されているだけで、出身の村や町
> に関する記載がないため、徳島藩なのか、稲田藩のなのかの判別
> ができない状況です。
> 私の推測ですが、出身の村や町に関する情報は本家に残ってい
> るのではないかと推測しています。
> お知り合いに木内姓の方がおられましたら、どのような情報でも
> かまいませんので、情報をお寄せください。何卒 よろしくお願い
> します。
>


[116] Re:[102] 祖父は屯田兵か・・・ 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/07/22(Mon) 22:34  

佐武 進 様

私、明治25年、富山県砺波から北海道の美唄(沼貝寺村)現進徳町に騎兵屯田兵として入植した荒井 喜一郎の子孫になるものです。祖父でございましょうか、佐武様のご入植されたかたのお名前はなんというのでしょうか?

岩見沢 に住んでいた、佐武 初蔵 氏という方がいらっしゃいまして、喜一郎の妹、キクと結婚し、 冨初さんという子を授かりました。冨初さんは、米国シアトル市にて、当時、住友銀行?の頭取をされ、優秀な方でした。

冨初さんのお子さんの一人が神奈川県の逗子に住んでいるとお伺いしておりますが連絡先はわかりません。


冨初さんのお墓は岩見沢にはあり、私の親戚が見ておりますが、墓盛りされていなく残念な状況です。当時は、富山県の同郷ということで婚姻関係を結ぶことが多かったようで、富山県砺波ということで、返信いたします。

佐武 様がお探しになっているかたであれば、幸いです。



> 初めてこのコーナーに、投稿させて頂きます。
> 故郷北海道を離れて丁初度50年に成る道産子です。昨年、兄達が祖父・母が入植時富山県から持込んだ仏壇のリフォームをした際に祖父が書いた征露日記(明治37年〜39年約90頁)を知り第7師団砲兵隊所属の出兵から帰還まで綴っていました。小生の父も母も富山県生まれですが18歳で上京した小生は祖父の事は遺影を見た事以外に何も知りませんでした。
> 社会人に成ってから先祖さんは武士かなと勝手に思っていました。ひょっとして屯田兵とも思い調べている内に、このコーナーを知り見せて頂きました。富山県砺波出身者の名簿には出ていなくて、屯田兵でなくても出兵されたのか父親も書けない毛筆の日記を何故書き残していたか謎が多く知りたくて投書致しました。
> 今度帰郷した際に勉強させて頂きたいので、屯田記念館を是非お尋ねさせて頂きます。よろしくお願い致します。


[115] Re:[114] うちも東和田屯田兵 投稿者: 投稿日:2018/11/26(Mon) 19:36  

 除籍の差別内容は消されてますし、壬申戸籍は直系子孫でも請求できないので、限界がありますね。
改製原戸籍に相当する除籍を請求しないとならない場合もありますが、東和田だとそれが壬申戸籍になる可能性が…。


[114] うちも東和田屯田兵 投稿者:百瀬 投稿日:2018/11/18(Sun) 11:03  

初めまして。私の高祖父が東和田の屯田兵の弟になります。明治6年生まれなので家族として渡ったようです。戸籍を遡った所、父親の名前、母親の前戸籍(石川県金沢区)はわかりましたが、他の者の東和田以前の戸籍の記載がありませんでした。それ以前はどのように調べたらわかりますか?また東和田の資料などはどちらかに行けば残っていますか?ご教示をよろしくお願いいたします。


[113] Re:[112] 先祖が東和田の屯田兵だったのですが 投稿者:編集室 投稿日:2018/08/14(Tue) 09:15  

まず、ご自身の戸籍を元にご先祖を辿ってみてはどうでしょうか。
一般に、戸籍謄本の【従前戸籍】に記載されている父親の本籍地の市(区)役所・町村役場で、父親の戸籍謄本または除籍謄本を請求するところからスタートします。役所によっては「相談窓口」でルーツ調査の旨を伝えると、それ以前の本籍の移動の調べ方(該当する役所の連絡先など)を教えてくれます。

除籍簿を祖父、曾祖父..と順にたどることになりますが、直系の子孫であることを証明する戸籍謄本、除籍簿のコピーを添付すれば、該当の役所への事前の電話連絡と郵送で対応してくれます(手数料が必要)。

役所によっては既に除籍簿が失われているケースもあります。この場合は、過去帳や墓碑銘などを当たることになりますが、本サイトの「屯田兵のルーツ探索法」を参考にして下さい。
http://tonden.org/roots_1.html

また、戸籍調査が行き詰まった場合は、東和田兵村の関係史料から瀧榮太郎さんの系譜をたどる方法もあります。北海道屯田倶楽部の手持ち資料から何か参考情報があれば、お知らせいたします。


[112] 先祖が東和田の屯田兵だったのですが 投稿者:瀧 海 投稿日:2018/08/09(Thu) 00:25  

父の出身地である根室市東和田について調べているうちにこのサイトに来ました。
東和田村の屯田兵名簿を見ると、瀧榮太郎さんというお名前が見えますがこの方が私の先祖(曽祖父?)なのかぜひ知りたいのですが、何か方法はございませんでしょうか?
残念ながら父は故人となっており、手掛かりは私の記憶にある父の本籍地と、父・祖父の名前、それから一族で金沢のほうから引っ越してきた話だけです・・・


[111] Re:[109] 投稿者:私は子孫 投稿日:2018/04/27(Fri) 22:58  

ラッパ二卒ですか ありがとうございました


[110] 木内の本家についての情報 投稿者:木内子孫 投稿日:2018/04/23(Mon) 17:00  

私は明治22年7月に篠路兵村に入植した木内武治郎の子孫です。
入植以前に徳島藩と稲田藩の間で「稲田騒動」が起こたことは
ご存知の通りです。
「屯田兵名簿」には徳島県と記載されているだけで、出身の村や町
に関する記載がないため、徳島藩なのか、稲田藩のなのかの判別
ができない状況です。
私の推測ですが、出身の村や町に関する情報は本家に残ってい
るのではないかと推測しています。
お知り合いに木内姓の方がおられましたら、どのような情報でも
かまいませんので、情報をお寄せください。何卒 よろしくお願い
します。



[109] Re:[108] 知りたい 投稿者:編集室 投稿日:2018/03/09(Fri) 13:43  

当倶楽部発行の『屯田兵名簿』では、該当する八谷恕吉氏は出征時(日露戦争)の階級が「ラッパ二卒」(二等卒ラッパ兵)と記載されているだけで、家族構成の記述はありません。
明治28年の『南滝川兵村給与地配当調』を見ると、同じ176番地の所有者名が「八谷夛三」となっています。恕吉からの改名か、兵籍を継いだ近親者かと思われます。


[108] 知りたい 投稿者:私は子孫 投稿日:2017/11/27(Mon) 21:41  

佐賀県からM23・7に南滝川に入った識別番号2472番の家族構成とその後の行動が知りたい 


[107] 無題 投稿者:山鼻屯田兵5代目 投稿日:2017/09/20(Wed) 15:50  

会津藩から山鼻屯田兵へ明治9年入植ですが、会津藩の頃を調べたいです


[106] 『西南の役関係文献目録』刊行しました 投稿者:菖蒲和弘 投稿日:2017/08/31(Thu) 10:47  

西南の役140年を記念して、菖蒲和弘編『西南の役文献目録−西南の役140年、調査・研究の歩みとその成果−』(A5判、105ぺージ、平成29年8月31日発行、熊本・自費出版、定価1200円)を刊行しました。明治10年から平成29年8月31日までに書籍・記録化されたもの収録、さらに官軍・薩軍・北海道開拓使屯田兵をはじめ81項目に分類、目録化したものです。西南の役に関する文献はほぼ網羅しています。普及版はA5判、ちょっと活字が大きなA4判の2種類あります。もし、ご希望の方はメールアドレス:kazuhiro3214@outlook.jpまでご連絡下さい。


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