兵屋
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屯田兵屋は、屯田兵が入地した際に各戸に給与された家屋。
標準とされた構造は、木造平屋、板張りに柾葺きで、面積は17坪5合(約58平方メートル)。
間取りは、土間に、炉を囲んだ6畳の板の間、6畳と4畳半の畳の間で構成され、流し、便所、押入が配置されていた。小屋組で天井はなく、屋根に煙出しが設けられていた。
1878(明治11)年に江別兵村に建てられた10戸の兵屋は暖炉付きの西洋式、1880(明治13)年に篠津地区に建てられた20戸は丸太組のロシア・コサック式だったが、多額の費用を要したため、その後は採用されなかった。
(写真は琴似兵村の屯田兵屋)
目次 |
構造と配置
間取り・構造
配置
給与
関連法令
- 屯田憲兵例則(明治7年10月30日・開甲36)
- 居宅 一戸 但家族アル者ハ一戸ヲ給与シ独身ノ者ハ一戸四人トス給与年限中妻ヲ娶ル者ハ別戸ヲ給シ其妻子ノ給助ハ夫ノ満期マテトス
- 屯田兵条例(明治18年5月5日・太18達)
- 第2条 屯田兵ノ建制ハ概ネ歩兵隊ニ基クト雖モ兵ヲ農ニ寓スルノ主旨ニ依リ平常ハ給与ノ家屋ニ居住シ開墾耕稼ノ事ニ従ハシメ有事ノ日ニ方リテ戦列隊ニ編成シ敵衝ニ当ラシム
- 屯田兵移住給与規則(明治23年5月10日・勅76)
- 第3条 屯田兵移住シタルトキハ家宅家具夜具農具種物扶助米及塩菜料ヲ支給ス
- 屯田兵条例(明治23年8月29日・勅181)
- 第2条 屯田兵ハ兵農相兼ヌルノ制トス平常ハ給与ノ兵屋ニ居住シ軍事上ノ訓練及開墾耕稼ニ従事セシム
- 改正・屯田兵移住給与規則(明治25年10月11日・勅89)
- 第三条第一項中「家宅」ノ下「井戸属具共」ノ五字及左ノ但書ヲ加フ
- 屯田兵志願者心得(明治25年10月20日・屯田兵司令部)
- 第六(家具夜具) 家屋は一戸に付一棟を賜はる而して其広さは十七坪五合にして之に畳建具及家具(鍋、桶、荷桶、椀)夜具(十五才以上一人に付四布及蒲団各一枚七才以上十五才迄一人に付四布蒲団一枚)之に添ふ
- 但井戸及属具ハ実際ノ景況ニ由リ二戸以上ニ一箇ヲ給スルコトヲ得
- 改正・屯田兵移住給与規則(明治27年7月11日・勅96)
- 第5条 屯田兵移住シタルトキハ兵屋、井戸属具共家具、夜具、農具、種物、扶助米、塩菜料ヲ給与ス但井戸及属具ハ実際ノ景況ニ由リ二戸以上ニ一箇ヲ給スルコトヲ得
- 移住後満三箇年間ニ於テ変災ノ為メ前項ノ兵屋、家具、夜具及農具ヲ亡失若クハ破損シ其ノ用ニ堪ヘサルニ至リタルトキハ更ニ之ヲ給与スルコトヲ得
- 屯田兵移住者心得(明治27年7月31日・屯田司令部)
- 二十六 上陸ノ上ハ各戸主ヲ纏メ兵屋ノ番号籤ヲ抽カシム此籤ハ自己ノ家屋ヲ証スルモノナルヲ以テ移住地ヘ着迄ハ紛失等ナキ様注意スル事肝要ナリ
- 三十八 人員取調終レハ係員ノ指図ニ依リ自己ノ籤番号ニ照シ合セ其兵屋ニ入ルヘキコト
- 屯田兵条例廃止(明治37年9月8日・勅202)
- 屯田兵条例、明治二十七年勅令第九十五号、屯田兵移住給与規則及屯田兵給与令ハ之ヲ廃止ス
保存されている屯田兵屋
北海道指定文化財
市町村指定文化財
その他
- 屯田兵の家(静岡県静岡市葵区羽鳥)
記録写真に見る屯田兵屋
- 江別兵村篠津地区に明治12〜14年ころに丸太組で建てられたロシア式兵屋