北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:新琴似
新琴似への入植者は九州・中国地方の士族が多かった。鉄道が敷設され、琴似駅から谷地を歩いて着いた彼らは自分の兵屋が隣家などまったく見通すこともできない密林の中にあり、故郷とあまりの違いにただ呆然と立ちつくすのみだった。
だが幸い開拓地は地味豊かで、作物は順調に育ち大麻、大麦、後に秋大根の産地としても知られるようになった。
昭和32(1957)年、帝繊亜麻工場の閉鎖と社宅払い下げで住宅団地が次々と造成されるようになり、住宅街へと変わったが、中隊本部や排水溝として掘削された安春川、防風林のポプラ並木など屯田兵村の名残を残している。
【屯田兵の回顧談】
【博物館・史跡ガイド】
新琴似兵村
1913/12/02
基本データ
入植年 明治20(1887)年
明治21(1888)年
入植地 札幌市北区新琴似
出身地 中国、九州中心に8県
入植戸数 220戸
第1大隊
第2大隊
騎兵・砲兵・工兵隊
第3大隊
第4大隊
中隊本部、防風林に往時の面影