軍人勅諭

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勅諭


我國の軍隊は、世々天皇の統率し給ふ所にぞある昔神武天皇躬(み)つから大伴物部(おおとももののべ)の兵(つわもの)ともを率ゐ中國(なかつくに)のまつろはぬものどもを討ち平け給ひ高御座(たかみくら)に即(つ)かせられて天下(あめのした)しろしめし給ひ志より二千五百有餘年を経ぬ此間(このあいだ)世の様の移り換るに随(したがい)ひて兵制(へいせい)の沿革も亦屢(またしばしば)なりき古(いにしえ)は 天皇躬(み)つから軍隊を率ゐ給ふ御制(おんおきて)にて時ありては皇后皇太子の代(かわ)らせ給ふこともありつれど大凡(おおよそ)兵権(へいけん)を臣下に委(ゆだ)ね給ふことはなかりき中世(なかつよ)に至りて文武(ぶんぶ)の制度唐國風(からくにふり)に倣(なら)はせ給ひ六衛府(ろくえふ)を置き左右馬寮(さうめりゃう)を建て防人(さきもり)なと設けられしかは兵制は整(ととの)ひたれとも打續ける昇平(しょうへい)に狃(な)れて朝廷の政務も漸文弱(ようやくぶんじゃく)に流れければ兵農(へいのう)をのつから二(ふたつ)に分れ古(いにしえ)の徴兵(ちょうへい)はいつとなく壮兵(そうへい)の姿に變り遂に武士となり兵馬の権は一向(ひたすら)に其(その)武士ともの棟梁(とうりょう)たる者に帰(き)し世の乱(みだれ)と共に政治の大権も亦其手(またそのて)に落ち凡(およそ)七百年の間(あいだ)武家の政治とはなりぬ世の様の移り換りて斯(かく)なれるは人力(ひとのちから)もて挽回(ひきかえ)すへきにあらすとはいひなから且(かつ)は我(わが)國體(こくたい)に戻(もと)り且は我祖宗(わがそそう)の御制(おんおきて)に背(そむ)き奉(たてまつ)り浅間(あさま)しき次第(しだい)なりき降(くだ)りて弘化嘉永(こうかかえい)の頃より徳川の幕府其政衰(そのまつりごとおとろ)へ剰(まつさえ)外國の事とも起こりて其侮(そのあなどり)をも受けぬへき勢(いきおい)に迫りけれは朕(ちん)が皇祖仁孝天皇(おおじのみことにんこうてんのう)皇孝孝明天皇(ちちのみことこうめいてんのう)いたく宸襟(しんきん)を悩(なやま)し給ひしこそ、忝(かたじけな)くも又惶(おそれ)けれ然るに朕幼(いとけなし)くして天津日嗣(あまつひつぎ)を受けし初(はじめ)征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)其政権を返上し大名小名(だいみょうしょうみょう)其版籍(はんせき)を奉還(ほうかん)し年を経(へ)すして海内一統(かいだいいっとう)の世となり古(いにしえ)の制度に復しぬ是文武(これぶんぶ)の忠臣良弼(りょうひつ)ありて朕を輔翼(ほよく)せる功績(いさお)なり歴世(れきせい)祖宗(そそう)の専蒼生(もっぱらそうせい)を憐(あわれ)み給ひし御遺澤(いたく)なりといえとも併(しかしながら)我臣民の其心(そのこころ)み順逆(じゅんぎゃく)の現(ことわり)を辨(わきま)へ大儀の重きを知れるが故(ゆえ)にこそあれされは此時(このとき)に於(おい)て兵制を更(あらた)め我國の光を輝(かがやか)さんと思ひ此(この)十五年が程(ほど)に陸海軍の制をは今の様に建定(たてさだ)めぬ夫兵馬(それへいば)の大権(たいけん)は朕が統(す)ふる所なれは其司々(そのつかさつかさ)をこそ臣下には任(まか)すなれ其大綱(そのたいこう)は朕親之(ちんみずからこれ)を撹(と)り敢(あ)て臣下に委(ゆだ)ぬへきものにあらず子々孫々(ししそんそん)に至るまで篤(あつ)くこの旨(むね)を伝へ天子は文武の大権を掌握するの儀を存(ぞん)して再(ふたたび)中世以降の如(ごと)き失體(しったい)なからんことを望(のぞ)むなり

朕は汝等(なんじら)軍人の大元帥(だいげんすい)なるそされば朕は汝等を股肱(ここう)と頼み汝等は朕を頭首(とうしゅ)と仰きてそ其親(そのしたしみ)は特に深かるへき朕が國家を保護して上天(しょうてん)の恵(めぐみ)に應し祖宗の恩に報いまいらする事を得るも得さるも汝等軍人が其職を盡すと盡さゝるとに由(よ)るそかし我國の稜威(みいず)振(ふ)はさることあらは汝等能(よ)く朕と其憂(そのうれい)を共にせよ我武惟揚(わがぶこれあが)りて其榮(そのえい)を輝(かがやか)さは朕汝等と其譽(そのほまれ)を偕(とも)にすべし汝等皆其職を守り朕と一心(ひとつごころ)になりて力を國家の保護に盡さは我國の蒼生は永く太平の福(さいわい)を受け我國の威烈(いれつ)は大に世界の光華(こうか)となりぬへし朕斯くも深く汝等軍人に望むならは猶訓諭(なおおしえさと)すへき事こそあれいてや之を左(さ)に述へむ

 一(ひとつ)軍人は忠節を盡すを本分とすへし凡(およそ)生を我國に稟(う)くるもの誰かは國に報ゆるの心なかるへき況(ま)して軍人たらん者は此心の固(かた)からては物の用に立ち得へしとも思はれず軍人にして報國の心堅固ならざるは如何程技藝に熟し學術に長ずるも猶寓人(なおぐうじん)にひとしかるへし其隊伍も整い節制も正しくとも忠節を存せさる軍隊は事に臨みて烏合(うごう)の衆に同じかるへ志抑(そもそも)國家を保護し國権を維持(ゆいじ)するは兵力に在(あ)れは兵力の消長は是(これ)國運の盛衰なることを辨(わきま)へ世論(せいろん)に惑はす政治に拘らず只々一途(いちず)に己(おのれ)が本分の忠節を守り義を山獄よりも重く死は鴻毛(こうもう)よりも軽しと覺悟せよ其操(そのみさお)を破りて不覺を取り汚名を受くるなかれ

 一 軍人は礼儀を正しくすへし凡軍人には上元帥(かみげんすい)より下一卒(しもいっそつ)に至るまて其間に官職の階級ありて統属するのみならす同列同級とても停年に新舊あれは新任の者は舊任のものに服従すへきものそ下級のものは上官の命を承ること實は直に朕が命る承る義なりと心得よ己が隷属する所にあらすとも上級の者は勿論停年の己より舊きものに対しては總て敬礼を盡すへし又上級の者は下級のものに向ひ聊(いささ)かも軽侮驕傲(けいぶきょうごう)の振舞あるへからす公務の爲に威嚴を主とする時は格別なれとも其外は務めて懇(ねんごろ)に取扱ひ慈愛を専一(せんいち)と心掛け上下一致して王時(おうじ)に勤労せよ若(もし)軍人たるものにして禮儀を紊(みだ)り上(かみ)を敬はす下(しも)を恵ますして一致の和諧(わかい)を失ひたらんには啻(ただ)に軍隊の蠹毒(とどく)たるのみかは國家の爲にもゆるし難き罪人なるへし

 一 軍事は武勇を尙(とうと)ふへし夫(それ)武勇は我國にては古(いにしえ)よりいとも貴(とうと)へる所なれは我國の臣民たらんもの武勇なくては叶ふまし況(ま)して軍人は戦(たたかい)に臨み敵に當たるの職なれは片時も武勇を忘れてよかるへきかさはあれ武勇には大勇あり小勇ありて同からす血氣にはやり粗暴の振舞なとせんは武勇とは謂ひ難志軍人たらんものは常に能く義理を辨へ能く膽力を練り思慮を殫して事を謀るへし小敵たりとも侮らす大敵たりとも懼れす己か武職を盡さむこそ誠の大勇にはあれされは武勇を尙ふものは常々人に接るには温和を第一とし諸人の愛敬を得むと心掛けよ由なき勇を好みて猛威を振ひたらは果は世人も忌嫌ひて豺狼なとの如く思ひなむ心すへきことにこそ

 一、軍人は信義を重んすへし凡信義を守ること常の道にはあれとわけて軍人は信義なくては一日も隊伍の中に交りてあらんこと難かるへし信とは己か言を践行ひ義とは己か分を盡すをいふなりされは信義を盡さむと思はヽ始より其事の成し得へきか得へからさるかを審に思考すへし朧氣なる事を假初に諾ひてよしなき関係を結ひ後に至りて信義を立てんとすれは進退谷りて身の措き所に苦むことあり悔ゆとも其詮なし始に能々事の順逆を辨へ理非を考へ其言は所詮践むへからすと知り其義はとても守るへからすと悟りなは速に止るこそよけれ古より或は小節の信義を立てんとて大綱の順逆を誤り或は公道の理非に踏迷ひて私情の信義を守りあたら英雄豪傑ともか禍に遭ひ身を滅し屍の上の汚名を後世まて遺せること其例尠からぬものを深く警めてやはあるへき

 一、軍人は質素を旨とすへし凡質素を旨とせされは文弱に流れ軽薄に趨り驕奢華靡の風を好み遂には貧汚に陥りて志も無下に賤くなり節操も武勇も其甲斐なく世人に爪はしきせらるヽ迄に至りぬへし其身生涯の不幸なりといふも中々愚なり此風一たひ軍人の間に起りては彼の伝染病の如く蔓延し士風も兵気も頓に衰へぬへきこと明なり朕深く之を懼れて曩に免黜条例を施行し略此事を誠め置きつれと猶も其悪習の出んことを憂ひて心安からねは故に又之を訓ふるそかし汝等軍人ゆめ此訓誡を等閑にな思ひそ

 右の五ケ條は軍人たらんもの暫も忽にすへからすさて之を行はんには一の誠心こそ大切なれ抑此五ケ條は我軍人の精神にして一の誠心は又五ケ條の精神なり心誠ならされは如何なる嘉言も善行も皆うはへの装飾にて何の用にか立つへき心たに誠あらは何事も成るものそかし況してや此五
ケ條は天地の公道人倫の常経なり行ひ易く守り易し汝等軍人能く朕か訓に遵ひて此道を守り行ひ國に報ゆるの努を盡さは日本國の蒼生挙りて之
を悦ひなん朕一人の懌のみならんや


明治十五年一月四日 御名

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