「新琴似屯田兵中隊本部」を編集中

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== 歴史・エピソード ==
 
== 歴史・エピソード ==
  
*明治23(1890)年8月18日(軍法会議録の公開によって10月8日の従来説は覆された)夜、中隊本部にいた第三中隊長の[[安東貞一郎]]大尉が銃撃される事件が起きた。負傷者はなかったが、主犯格の[[黒田熊次郎]]が暴行罪などで無期懲役となるなど屯田兵7人が[[軍法会議]]で処罰された。米価高騰を背景に積穀(備蓄米)の返納を求めた屯田兵170人と中隊長との軋轢から生じた事件で、ほかに8人の屯田兵が命令違反や護送妨害の罪で処罰された。([[新琴似中隊本部襲撃事件]]を参照)
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*明治23(1890)年10月8日(8月18日とする説もある)夜、中隊本部にいた第三中隊長の[[安東貞一郎]]大尉が銃撃される事件が起きた。負傷者はなかったが、主犯格と見られた[[黒田熊次郎]]が無期懲役となるなど屯田兵6人が[[軍法会議]]で処罰された。襲撃の動機など詳細は現在もなお不明とされている。([[新琴似中隊本部襲撃事件]]を参照)
 
*[[兵役免除]]となってからは[[新琴似兵村会]]の[[共有財産]]として兵村会や産業会の事務所、公会堂などとして利用され、戦後は学校の仮校舎、保育所などにも使用された。札幌市に寄付された後、一時、取り壊しの運命にあったが、 地元町内会や屯田兵の子孫らが強く反対し、札幌市は昭和43(1968)年に復元工事に着手した。
 
*[[兵役免除]]となってからは[[新琴似兵村会]]の[[共有財産]]として兵村会や産業会の事務所、公会堂などとして利用され、戦後は学校の仮校舎、保育所などにも使用された。札幌市に寄付された後、一時、取り壊しの運命にあったが、 地元町内会や屯田兵の子孫らが強く反対し、札幌市は昭和43(1968)年に復元工事に着手した。
  

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