年表
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1873(明治6)年 |
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6月 |
開拓使東京出張所内に屯田課設置 |
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11月 |
11月18日黒田清隆屯田兵制の施行について建議 |
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12月 |
屯田兵制度実施の允裁 |
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12月25日屯田兵1,500戸、6,000人を移植するための経費68万円3ヶ年分割の旨公布。これを允裁 |
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1874(明治7)年 |
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6月 |
6月23日開拓次官黒田清隆を陸軍中将兼開拓次官に任じ北海道憲兵事務を総理 |
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10月 |
10月30日屯田兵例則を設け、その編制は憲兵の法を参酌し編制給養の制を明らかにする。 |
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米国その他よりガトリング砲4門、エンピール銃1、600丁及び実包を購入。その代価は屯田兵定額内を以て支弁 |
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11月 |
石狩国札幌郡琴似村に屯田兵屋を建築、(明治8年5月完成) |
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1875(明治8)年 |
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1月 |
屯田兵として函館、宮城、青森、酒田県士族にして戊辰の役に従事するものを募る。 |
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屯田兵諸官の職務規則を定め、又、屯田兵諸官巳下勤務定則を定める。 |
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3月 |
屯田兵を召募すべき管下及び函館、青森、宮城、酒田の士族で足らなければ有志の平民を募る事を允裁 |
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本庁に屯田事務局を設置し、学務局の次に班し、准陸軍武官を置き、大佐を4等官と為し、以下1等を低減し、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉を奉任となし、曹長、軍曹、伍長は11等~13等の判任となす。 |
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4月 |
4月12日准陸軍武官の服制、徴章並びに月俸、旅費、軍装料の給額を定める。 |
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屯田事務局を東京出張所の次に班し、事務局内に庶務、主計の両係を置き分掌させる。 |
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5月 |
宮城、青森、酒田県及び管内士族等入隊を願う者198戸、965人を札幌郡琴似村に移し第1大隊第1中隊を編成 |
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屯田兵1中隊毎に週番所を置く制を規定 |
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屯田兵の服装は一般鎮台の成規により、更に章号として左肩上に北辰形を標記し、又、大隊旗及び向導旗に北辰形の票記を付すことを伺定 |
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6月 |
6月22日自今屯田兵は一戸家族四人以上の者を募るのを止める。 |
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7月 |
琴似村に小学校を設け所要の器具を備え屯田兵子弟を教育する。 |
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8月 |
8月3日青森、酒田、宮城及び函館県に募る所の屯田兵を札幌に移し、明年更に280戸を3県に募るとするも恐らくはその数に充るは難しく。因って定員予備の為に置賜(現在の山形県内)、岩手、秋田三県に募ることを請う。官これを允す |
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9月 |
伍長代務を本官に任じ、鎮台兵の成規を以て日棒を給し、又、兵員子孫を以て喇叭手となす。 |
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札幌郡山鼻村に屯田兵家屋240戸、発寒村に32戸建設なる。 |
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11月 |
屯田兵員死亡し、嗣子ある者は目下兵役に耐えざるも兵員に充て世襲せしめ、もし単身にして親族の嗣ぐべき者がないとき或いは兵員の内より分戸してこれを嗣ぎ或いは他の兵役に堪える者をして嗣がしむる。 |
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12月 |
12月8日、先に募る宮城県、青森県、酒田県、置賜県(山形内陸部の県)、岩手県、秋田県の兵で不足すれば有珠移住の伊達邦成家臣を募りことに許可がおりる |
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この年募集兵の数に応じ各自「エンピール銃」下付が認められる。 |
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1876(明治9)年 |
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この年、琴似、山鼻兵員に「エンピール銃」を下附し、射的演習を施行。その弾数は時にこれを定める |
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5月 |
始めて屯田兵積立金の方法を定め、毎月給与米の2割を貯蓄せしむ。 |
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去歳募る所の青森、秋田、置賜、宮城、岩手及び有珠郡士族275戸1074人を琴似発寒山鼻村に移す。週番所をおいてこれを管理する。 |
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この年、例則編制表の職員約半数を充たす目的を以て、更に大隊編制表を定める。 |
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8月 |
対雁村に養蚕室なる。 |
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9月 |
琴似村、山鼻村へ蚕室を設け、以て屯田兵の産業を助ける。 |
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1877(明治10)年 |
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1月 |
琴似、山鼻両兵村に屯田兵仮射的場を設け開拓長官将校已下に告諭するに、射的の必要をもって大いにこれを奨励し将校は「レミントン銃」を用い、下士已下は携帯銃を用いて訓練せしむ。その弾数は予めこれを定めず。 |
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2月 |
西南騒擾により函館警備として屯田兵1小隊を派遣 |
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4月 |
1大隊を派遣し西南の軍に従わせる。 |
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5月 |
陸軍給与概則により、准陸軍大佐已下の棒を増し、官宅料及び馬飼料を給す。 |
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6月 |
管内士族664人を募り、屯田予備隊を編成し、東京へ派遣 |
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7月 |
屯田兵子弟の教育のため琴似、山鼻2村に小学校を設け当該生徒の余暇に製麻、結麻の業を学ばしめ、又蚕時に至れば課程を止めて養業を行わせる。 |
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8月 |
准陸軍少尉試捕を置き官等月俸を定める。 |
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8月30日先に派遣中の1大隊鹿児島の役より帰り、東京に至る。 |
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9月 |
9月30日、札幌に凱旋す。後、勲を定め賞行う。各差あり。 |
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9月3日、天皇陛下吹上禁園に幸し、屯田予備兵東京にいたる者に勅語を賜い、慰労金を与える。屯田兵の扶助3年を1年延長 |
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屯田予備隊より、東京において「ガトリング砲」5門、実包10万発、米国製6連発短銃1丁を引き継ぐ |
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11月 |
西南の役で戦没した8名を東京招魂社に合祀 |
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12月 |
12月26日准陸軍佐官以下の増俸及び官宅銀料を廃し屯田予備兵条例を定める。・・・・1大隊をもって限りとし、その編制の費額は別に之を国費に取る。 |
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篠津太に蚕室を築く。其の地桑樹多く将来屯田兵就産の資とならん。 |
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1878(明治11)年 |
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1月 |
客歳召募屯田兵の諸費は常法に拠りがたく、陸軍給与概則を折衷して支給 |
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2月 |
従来屯田兵の給与地5,000坪のところ、壯丁多くして余力のある者には更に5,000坪を給す。(土地給与規則制定) |
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3月 |
屯田兵戦死傷者に陸軍恩給令に依り恩給並びに扶助料を給す。 |
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4月 |
議定して屯田予備兵に関する経費は別に国費に取る。 |
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7月 |
客歳西南の役死者の為招魂碑を札幌偕楽園に建設。12年9月完成 |
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8月 |
江別村に米国式の防寒処置がなされた兵屋10戸建設 |
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岩手県から募る屯田兵10戸56名江別太に入植。江別村第1大隊附属江別分隊と称し、屯田事務局派出所を置き管理する。 |
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此の月、屯田兵召募後3年間付与する銭料米、塩菜料を給し、地を与え開墾して以て前途営生の基本を立てしめんとする。もし3年中に戸主死亡の場合は残額を遺族に給し開墾の費用に充て遺族保護の道を請い認められる。 |
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12月 |
12月28日准陸軍大佐堀基屯田事務局長を免じ、准陸軍中佐永山武四郎を同事務局長に任命する。また、此の月始めて第1大隊長を置き、准陸軍少佐、家村住義を大隊長に補す。 |
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此の月、野外演習を兼ね鹿猟取締のため勇払に兵卒20名、士官若干名派遣、爾後、毎年行うのを例とする。 |
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1879(明治12)年 |
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3月 |
屯田兵の服役期限は未だ定められておらず。他年鎮台の設置を以て期限とし、その間、戸主死亡の場合は其の子弟、及び、後継ぎ等を以て服役させ、もし兵役に堪る者がない場合は戸主死亡の年をもって満期となす。(屯田兵服務規程改正) |
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該兵(相続した屯田兵)が扶助を終わり自力生活の途に就くことになっても、兵役を帯びることになるので、兵役免除の後、其の給与地の地租を除く10年及び戸主死亡する者も之に等しくせんことを上請し認められる。 |
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5月 |
屯田事務局長永山武四郎、兵屋の装置、防寒の結構等調査のため露国、樺太コルサコフへ出張、6月帰国 |
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此の月、武官公罪に係わる者は官史懲戒例に依り処分するものと為す。 |
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6月 |
屯田兵死刑に処する者の遺族はなお戸主扶助の残額を給し救助する旨上請、屯田兵治罪条例を設ける旨を請い、認許。これに於いて、平常の犯罪は常律をもって、軍務に係わる犯罪は軍律を以て処すことを定める。 |
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11月 |
屯田兵扶助満期後公務に服する時は、俸給、食料、草鞋足袋を給す。 |
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12月 |
屯田兵職業を勉め督理宜しく得る旨を以て士官褒詞を賜い且つ大隊へ嗜好料100円を賜ふ |
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1880(明治13)年 |
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1月 |
露国大工を雇い同国コルサコフ兵舎にならい20戸の兵屋を篠津太に建設する。 |
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鵡川地方に屯田兵2個分隊を派遣し、鹿猟取り締まりを兼ね野営演習を実施。この際、鹿4頭他鳥獣を捕獲 |
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2月 |
屯田予備兵已に徴募編籍する者は徴兵年齢にあたる場合でもこれを免ず |
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陸軍一般編成改正を以て屯田兵に於いても亦練兵行軍に際し其の隊制名称等新式に準拠する。然れども、兵村の組織はなお舊制(古い編成)に拠る。 |
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1881(明治14)年 |
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1月 |
屯田兵少尉補以上に登る者は扶助米金等の支給は止める。 |
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2月 |
屯田予備兵を罷む(屯田兵予備条例廃止) |
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山形県米沢地方召募する屯田兵応ずる者少なく、福島、岩手、青森3県より20名を召募することを請しこれが認められる |
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7月 |
7月6日屯田事務局を事務係と改称し班列は従前による。 |
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この月、青森、岩手、山形3県より屯田兵19戸81名を募り篠津村に移し第1大隊付属篠津分隊と称し篠津派出所を置きこれを管理せしむ |
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この月、天皇陛下北海道に幸す。 |
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9月 |
9月1日、天皇陛下の車駕山鼻村に過ぐ山鼻学校に臨御あらせられ屯田兵耕産事業場を叡覧に供す。同日、能久親王殿下琴似村の兵屋を巡覧せられる。 |
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12月 |
12月20日屯田兵家族多き者20余戸を分かち篠津村の背後に移し荒蕪を開拓して一村をなすことを認められる |
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以上、開拓使中15年2月に至までに消費した金額は植民費として金748,946円28銭。本局費として金32,387円98銭。戸数509人、人員2,276人を移植する。 |
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1882(明治15)年 |
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2月 |
2月8日廃使置県。准陸軍佐尉官以下に係わる事務及び経費、武器弾薬等全て陸軍省の管轄に属する |
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その月、江別分隊に士官を派出し同所属事務を兼ねる |
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4月 |
屯田兵事務局に番兵を置く |
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8月 |
新式編成に基づき従来の編成を改め、更に琴似、山鼻両中隊を分割し4個中隊より成る1大隊を編成する。 |
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琴似村屯田兵を1中隊、2中隊。山鼻村3中隊、4中隊とし、週番所は従前のごとく、1、2中隊を琴似週番所、3、4中隊を山鼻週番所と改称する |
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1883(明治16)年 |
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4月 |
屯田兵第1大隊半大隊は8日間春季演習として苫小牧、島松、植苗の各地を経て行軍演習を為す。また、自今演習は毎月1の日を以てし射的演習は春秋2季と定める。 |
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屯田事務局門規を定める。 |
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6月 |
屯田事務局奉仕の者にて陸軍省出仕の輩は軍人軍属一般の治罪手続きに拠らしめる。 |
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7月 |
旧開拓使廃止の際、国庫へ納付する植民費の残金及び前年度経費の残金とを以て屯田兵を召募し江別村に移植せんことを上請。官これを允す。 |
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10月 |
江別兵村兵屋建設なる。 |
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12月 |
江別村に屯田兵屋2戸を建築し兵員子弟を分戸する。 |
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准陸軍佐尉官以下犯罪処分は青森軍法会議へ護送せしむ。 |
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明年移住兵の蚕室その他諸事業場にあてるため篠津村設置の第2号養蚕室及び属舎を江別村に移転す。また、江別村に中隊週番所を設け江別、篠津の事務を処理せしめその派出所を廃す。 |
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1884(明治17)年 |
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2月 |
屯田兵2名を選抜し軍馬飼養法伝習生として軍馬局に派遣する |
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3月 |
士族授産の為17年度以降6カ年間に金88万6,125円を国庫より支出し、士族を募り屯田兵を編成し陸軍省をして管理せしむ。これに於いて18年より23年まで士族1,061戸を募集する手続きを上陳 |
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4月 |
はじめて陸軍省雇医員を屯田事務局に置く |
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5月 |
青森、秋田、山形、福島4県より屯田兵75戸345人を徴募し江別村に移す。 |
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その月、陸軍一般の編制に準じ編制を改め220戸をもって1中隊を編制し3中隊をもって1大隊を編成する |
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江別村に医員1名を配置し患者を治療させる |
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6月 |
地方一般一種の脚気病大いに流行し、もって本年度移住の兵員家族は札幌県医員を江別村に派遣し治療にあたらせる。 |
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その月、江別村第3中隊週番所に番兵を配置し、下士1名卒4名をもって警備させる。これは、土地の癖遠なるのと樺戸、空知両修治監囚徒脱監の途に当たるためなり。 |
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8月 |
屯田兵起居の定則、屯田兵日課の勤務及び屯田兵検査定則を定める。 |
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10日江別村第3中隊週番所宿直を廃し喇叭手1名を衛兵に増加する。 |
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11月 |
他兵科より任用の下士は隊附と雖も外宿手当金を給することに改める。 |
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1885(明治18)年 |
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1月 |
患者診断調剤等の用に充てるため江別週番所に薬剤所を増築し且つ地方村民の診断投薬をなす。 |
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2月 |
屯田兵給与の農具修理費は全て自弁せしむ。 |
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その月、各府県士族中屯田兵志願の者5カ年間に徴募せんことを上請する。屯田兵志願者心得並びに徴募手続きを定める。 |
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3月 |
根室在勤の士族以下に2割増俸を給す。 |
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4月 |
永山武四郎本部長、屯田兵編制の為定額金増額せられんことを大山巌陸軍大臣に建議す |
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此の月、馬主改良のため種馬2頭を陸軍省に借り兵員に飼養せしむ |
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5月 |
屯田兵第1大隊は札幌付近に於いて中隊各個攻守戦法を練習する。 |
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此の月、屯田兵条例を定め屯田事務局を屯田本部と改称し、庶務をもって第1課とし、主計をもって第2課とし、更に医務課を設け衛生に係わる事務を掌らしめる。 |
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屯田兵大佐永山武四郎を陸軍少将に任じ屯田本部長に、家村中佐を同次長に、荒城少佐を第1課長に、篠森少佐を第2課長に補し、本田少佐を第1大隊長に任じ、又、陸軍武官々等表中屯田兵大佐以下の官名を追加し等級官名を称せしむ。 |
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此の月、江別村に183戸、篠津村に30戸兵屋を建築する。 |
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屯田兵条例発布に付、自今総て陸軍治罪法に依り処分し、且つ便宜の為毎年12回青森営所軍法会議の理事、審事、録事を札幌に派遣し審判に従事せしむ。 |
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6月 |
各中隊週番所を改め中隊本部と称し屯田兵本部西門内に第1大隊本部を設け、また、屯田兵仮事務所を根室県庁内に設置する。 |
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此の月、兵員給与地の内1,500坪を桑園と定める。 |
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7月 |
佐賀、石川、鹿児島、鳥取、熊本の5県より屯田兵213戸、1,150人を徴募し、182戸を札幌郡江別村に、30戸を石狩郡篠津村に移す。其の内70戸を以て第3中隊に編入し、188戸を以て新たに第1大隊第4中隊を編成し中隊本部を設け、江別村第3中隊第1小隊事務所に日直を置き、書記及び喇叭手各1名を以てこれを充てる。 |
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此の月、屯田兵員にして地方小学校教員たることを停止する。 |
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此の月、陸軍恩給令附則を以て屯田兵の恩給を定め、又、屯田兵平戦時中隊編制表を定める |
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8月 |
法廷1棟建築する。 |
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此の月、医務課を置き第1課長をして事務を兼掌せしめ、又、薬剤所、乗馬規則を定める。 |
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9月 |
根室在勤の下士に俸給、同外宿手当金にも亦割り増しを給す。 |
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此の月、屯田兵第1大隊秋季演習として石狩国札幌市街近傍の地に於いて野外演習を為し、最後、函館より来札したる歩兵5連隊第3大隊と相対し豊平村に於いて戦闘演習を行う。 |
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この年、演習法を改め、即毎月1の日を以てこれに充て、中隊適宜に練習せしむ。而して射的は春秋2季独立及び衆合射撃を訓練せしむ。 |
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屯田兵本部概則を定める。 |
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永山本部長石狩国上川郡を巡回し陸軍大臣に上申する「地勢開潤にして将来緊要の地と認むる旨もってす」 |
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10月 |
屯田兵積立金のうち兵員より借用出願する程限を定める。 |
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根室県花咲郡和田村に屯田兵屋220戸、札幌郡江別村に115戸、石狩郡篠津村に20戸、合わせて345戸を建築する。 |
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屯田兵本部職官定員表及び事務内規を定める。(屯田兵本部概則) |
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此の月より転科下士には年功加俸及び死者には埋葬料を給せざることを定める。 |
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本部概則による将校会議開会の期日は毎月最終月曜日をもってする。 |
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12月 |
屯田兵服務規則を伺定す。 |
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屯田兵射的弾数を規定する。「レミントン銃」1ヶ年1人につき射撃用実包65発、「エンピール銃」1ヶ年1人に付演習用実包30発として19年度より実施せしむ。 |
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1886(明治19)年 |
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1月 |
江別兵村第3中隊第1小隊日直を廃し、半小隊長及び喇叭手各1名をして宿直をなさしむ。 |
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2月 |
北海道3県を廃し、北海道庁を置き屯田兵本部の経費凡て該庁の支弁に属す。 |
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此の月、歩兵射的演習定則に則り農事の間隙を以て射的演習を行わしむ。 |
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屯田兵罪囚の未決は営倉に置き、重禁固は青森に送致し、軽禁固は営倉において執行し、兵籍にあらさる者は地方監獄に交付せしむ。 |
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3月 |
根室在勤士官以下の増俸を廃す。 |
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此の月、23日より6日間第1大隊は平戦両時行軍演習を行い途中不規実設敵攻守戦法及び前哨あるいは中隊各個戦闘を演練する。 |
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屯田兵本部御用掛及び兵卒各1名を撰び東京調馬隊に遣り軍馬取り扱いを伝習せしむ。 |
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5月 |
屯田兵第2大隊本部を根室郡和田村に設置す |
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此の月、山口、広島、鳥取、福井、石川、新潟、山形、秋田、青森の9県より屯田兵345戸、1,668名を募り、其の202戸を根室県花咲郡和田村に移し第2大隊を創設。115戸を札幌郡江別村に、20戸を同郡篠津村に移し第1大隊第3、4中隊を充寛す |
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江別村第3中隊本部の衛兵を廃し士官及び下士卒をして日直を為さしむ。 |
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屯田兵家族身上取り扱い方を定める。 |
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6月 |
下士卒無届け帰村せざる者に対し逮捕及び具申の方法を定める。 |
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7月 |
屯田兵少佐和田正苗第2大隊長に補される。 |
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此の月、監獄を建設せんを請うて充さる。(21年1月落成する) |
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7月~8月屯田本部長永山武四郎少将、道内屯田兵入植地調査のため視察(荒城少佐、栃内大尉、富田曹長同行) |
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8月 |
8月18日より8日間屯田兵第2大隊第1中隊は根室和田村より同国落石村及び釧路国浜中、散布の諸村を経、厚岸に於いて実設敵対抗演習を施行する。 |
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9月 |
監獄長以下の官史は屯田兵本部員を以てこれを兼ねしめ看守卒押丁は新たにこれを置く。 |
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11月 |
第1課長の医務課事務の兼掌を解き陸軍一等軍医遠藤周民をして専任となす。 |
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此の月、兵屋146戸を札幌郡新琴似村に、110戸を室蘭郡輪西村に建築する。 |
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12月 |
札幌区大通り西詰に屯田兵第1大隊本部を建築移転する。 |
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此の月、新式喇叭譜伝習のため一等軍曹外2名を撰び教導団に遣る。 |
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此の月、屯田兵士土地貸し下げ願いに関する取り扱い手続きを定める。 |
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1887(明治20)年 |
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1月 |
江別薬剤所を更めて屯田兵第1大隊病室と称す。屯田兵患者の病状等差し及び創傷患者の見証書式並びに各隊病類表、器械薬物表々式を定める |
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2月 |
屯田兵本部概則を改定し移住者諸給与を更たむ。 |
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屯田兵本部門候及び大隊本部の給仕を廃す。 |
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屯田兵本部及び大隊本部風紀衛兵を廃し、単に金櫃ある場所に限り上等兵1名、卒3名を以て番兵をなさしむ。 |
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3月 |
屯田兵第1大隊は春季演習として後志国余市郡余市駅へ中隊行軍及び途上諸種演習を行い、同22日同郡畚部村隧道近傍に於いて半大隊不期対抗演習を行う |
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欧亜各国兵制視察のため本部長永山武四郎少将、荒城屯田兵少佐、栃内屯田兵大尉、小島陸軍属を隋へ米国、露国、及び清国へ派遣せらる。(21年2月帰国) |
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4月 |
屯田兵本部に薬剤官及び看護長を置き、医務課及び各隊診断所備え付け治療器械薬品の員数を定め、隊付医官以下の服務心得を仮定し、医務課中主治係を医務係と改め、更に薬剤係を置く。各隊診断所の名称を患者取扱方を仮定し病類総目中に婦人病付録を追加し医官、薬剤官、看護長、医員等の分課を定める。 |
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屯田兵平時の編制を改め常備歩兵隊平時編制に準拠し更に大隊に編制し、1大隊は2中隊以上4中隊以下、1中隊は160名以上240名以下とする。 |
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事務内規中第2課各係の名称及び分掌を改正する |
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第1大隊診断所薬室を医務課中に設置し看護長を宿長させる。 |
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5月 |
第1大隊第3第4中隊(江別、篠津の両中隊)445戸を分割して、更に第3大隊を編成し、第3大隊第1中隊、第2中隊と称し同大隊本部を江別村に創地す。 |
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此の月、屯田兵大尉野崎貞次第3大隊心得を仰せつけられる。 |
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兵庫、岡山、愛媛、鳥取、鹿児島、熊本、佐賀、福岡の8県より屯田兵256戸1115名を徴募し、140戸を新琴似村に移し之を第1大隊第3中隊とし、110戸を室蘭に移し之を室蘭屯田兵中隊と称する。 |
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6月 |
大隊付き医官を屯田本部に集め、衛生会議を開き、自今毎月5日を以て例とす |
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屯田兵積穀歩合扶助米2/10を更め移着初年は1.5/10、2ヶ年目より3/10とする。 |
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7月 |
家村本部次長本部長代理を以て始めて部下各隊を検閲する |
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9月 |
第1大隊第3中隊に属する事業場1棟を同中隊共有物として下付する。 |
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10月 |
10月21日より4日間、屯田兵第3大隊は秋季演習として江別、野幌、幌向等の各地に置いて各種野外演習を行う。 |
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野崎第3大隊長心得は少佐に昇任し第3大隊長を拝命 |
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此の月、室蘭中隊設置の事業場1棟同隊共有物として下附 |
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此の月、兵員寄託積金出納規則及び各隊会計事務取扱並びに各隊金櫃規則を定める。 |
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花咲郡和田村に屯田兵屋120戸、札幌郡琴似村に74戸を建設する。 |
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9日より1週間第2大隊は根室、標津間において行軍演習を行う。 |
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11月 |
第1大隊は秋季野外演習として札幌郡上手稲村において大隊仮設敵演習及び第小繃隊演習を併せて行う。 |
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1888(明治21)年 |
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2月 |
永山少将、米国、露国、清国視察から帰朝する。 |
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3月 |
3月15日より10日間室蘭屯田兵中隊は幌別、白老、苫小牧、千歳を経て札幌地方へ転地演習を行う。 |
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4月 |
4月1日より1週間屯田兵第1大隊は銭函、小樽、蘭島、川村、大江村等を経由し苗穂峠の嶮を越え後志国岩内郡岩内へ転地演習を行う。 |
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第3大隊は1週間その屯営地近傍において諸種の生地演習を行う。 |
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5月 |
永山本部長、北海道長官を兼任する。 |
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徳島、大分、佐賀、福岡、広島、鳥取、岡山、島根、8県より屯田兵196戸935名を募り、74戸を新琴似村に移し第3中隊に編入し、120戸を根室和田村に移し第2大隊2中隊を編成する。 |
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6月 |
創めて参謀官を置き児玉徳太郎少佐を以てこれに補す。 |
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7月 |
屯田兵家族身上に関する処分方を改正する。 |
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家村本部次長本部長の代理を以て部下各隊の検閲を行う。 |
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陸軍乗馬飼養条例を実施し家村中佐を以て委員長と為す。 |
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8月 |
屯田兵出身下士卒の埋葬法を定める。 |
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9月 |
屯田兵の射的演習は経費及び稼檣上の支障を以て暫く定規弾数を減じ便宜施行せしむ。 |
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10月 |
新募屯田兵演習期日を定めて3日間とし、其の扶助期中にある者は月6回と定める。 |
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此の月、全道各郡村役所に照会して戸数、人口、物産、風土、牛、馬、車両、船舶の調査をなし屯田兵出師準備に着手する。 |
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兵村会規則を定める。 |
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兵屋100戸を和田村に建設する。 |
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11月 |
屯田兵第3大隊は空知、樺戸方面において2泊行軍演習を行う。 |
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永山武四郎、20個中隊増強計画「屯田兵増殖の議付上申」 |
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12月 |
12月1日より8日の間屯田兵第2大隊は根室国根室郡古丹消民有牧場内に於いて野営演習を施行する。 |
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1889(明治22)年 |
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1月 |
大いに屯田兵費を増加し明治26年までに20中隊を徴募編成せんことを議定する。 |
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本年より屯田兵参謀をして参謀長会議に列せしむ旨達せられる。 |
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2月 |
各隊診断所へ休養室を設置す。 |
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本年より屯田兵軍医長をして軍医長会議に列せしむる旨達せられる。 |
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4月 |
屯田兵第1大隊は苫小牧、鷲別、室蘭、登別、植苗等に於い10日間、屯田兵第3大隊は石狩郡石狩地方に於いて5日間野外演習をなす。 |
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屯田兵出師準備方案を定めこの年5月2日調べを以て各隊出師準備書を調製せしむ。之より各隊出師準備書調製の始めとす。 |
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5月 |
屯田兵本部玄関番及び正門の門番を廃す。 |
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各隊備え付け図書を規定し又文書編さん例を改正す。 |
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戦時衛生材料の員数を定める。 |
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6月 |
室蘭郡輪西村に兵屋100戸、札幌郡篠路村に220戸を建築する。 |
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7月 |
屯田兵条例を改正し屯田本部を改め屯田兵司令部と称し、司令官その下に副司令官、参謀副官、法官、会計、軍医の5部を置き屯田兵所在地に監獄を置く。 |
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永山少将屯田兵司令官に補される。 |
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屯田兵手帳を改正す。 |
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東京、静岡、三重、愛媛、石川、福井、京都、滋賀、鳥取、山口、和歌山、徳島、佐賀、熊本、福岡の2府13県より屯田兵430戸1914人を召募し220戸を篠路村に移し第1大隊第4中隊を編成し、110戸を室蘭中隊に、100戸を根室和田村に移し第2大隊第2中隊に編入する。 |
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8月 |
札幌農学校の官制を改正し同校生徒中より屯田兵士官出身志願者を選定し軍事に関する学術技芸を教授せしむ。 |
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9月 |
22年より26年まで5ヶ年間に屯田兵20中隊を移す計画を以て屯田兵増殖配備着手手順表を定め、隊号を改め室蘭屯田兵中隊を第2大隊と称し、根室第2大隊を第4大隊称する。 |
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屯田兵士官下士補充細則、屯田兵下士卒服務細則、屯田司令部服務規則を定める。 |
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各隊事業教師(養蚕、製麻)を附するの期限を定める |
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家村副司令官心得司令官代理を以て部下各隊に検閲を行う |
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屯田兵司令部に軍法会議を設け師旅団並びに屯田兵司令部出仕理事、録事等級区分を定められる。 |
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屯田兵司令部官職定員、屯田兵監獄官定員を定め、家村中佐は屯田兵副司令官心得に、児玉少佐は屯田兵参謀に、荒城少佐は屯田兵副官に、篠崎少佐は屯田兵会計部員に、松島軍医正は屯田兵軍医長に、水島理事は屯田兵法官部主事に補される。 |
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10月 |
屯田兵1大隊編制表を定める。 |
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屯田兵に医員、看病人、磨工を附し、屯田兵附尉官服務規則並びに診断所規程を定める。 |
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11月 |
屯田兵服務規則を改正する。 |
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屯田兵曹長24名、本官を免じ兵事科別科生として札幌農学校に入学させる。 |
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屯田兵徴暮心得を定める。 |
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永山武四郎「北海道石狩国上川郡に北京を設定せらる度の件」建議 |
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屯田兵従来所用の「レミントン銃」欠乏せるを以て「ピーポージマルチニー銃」500挺を陸軍省に借り新設隊に交付する。 |
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12月 |
奈良県十津川移民中より、屯田兵92戸325名を募り空知郡滝川村に移し、第5大隊第1中隊を新設する。 |
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此の月、屯田兵第4大隊は根室郡鹿島牧場内に於いて8日間野外演習を行う。 |
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屯田兵医員召募格例を定める。 |
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屯田兵逃亡10カ月を経、帰隊せざる者跡相続の法を定める。 |
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屯田兵副官たる尉官をして乗馬本分と為す。 |
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乗馬飼養条例の改正に依り自今屯田兵隊隊長は副馬飼養せざることとなる。 |
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従来徴募屯田兵の身体検査は各募集地に於いて臨時雇医を以て之を当たらしたるも本年より軍医をして検査を為さしむ。 |
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「離宮設置に関する達」総理~北海道長官へ(官報1962号) |
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1890(明治23)年 |
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1月 |
戦術研究のため各隊より士官を選抜し戸山学校へ入学させることを上申し許される。 |
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2月 |
屯田各隊士官教育実施教令を規程する。 |
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北海道における道路、鉄道、港湾等は国防上の関係あるを以て新設の都度、当部に協議すべきことに北海道庁へ照会を遂ぐ。 |
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屯田兵大隊出師準備項目を規定する |
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屯田兵現行の組織は子孫相続して永世兵たるの制にして人権を永遠に拘束する嫌いあり、且つ之を維持するのは経費漸次積高する為に新規増設殖民上の結果を全修することを能はざるに至る。故に到底建制組織を一大変更せざるべからずを感ずるの際偶々会計法実施の為昨年確定せる5ヶ年間経費処置の法頓に廃滅計画全空に帰す。且つ憲法を以て兵額の事一に天皇陛下の大権に帰せられ之に伴う所の経費既定の歳出に属す。而して其の歳出既に一定の額を決すべき必要に遭遇し、従って屯田兵全般の組織一大改革を行い将来の基礎を確定せざるべからざるに至る。是に於いて司令官永山少将、副司令官心得家村中佐、参謀児玉少佐、副官和田少佐、同高洲大尉、会計部員大島大尉等を東京に会し改正案を諮議し陸軍省参謀部の間 審議詳悉遂に4月該改正案建議する。 |
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従来屯田兵携帯の「レミントン」銃を「ピーポシマルチニー」銃に更めんことを上請し許される。 |
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屯田兵司令部事務内規を改正する。 |
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3月 |
屯田兵経費は本年度より通常経費33万2,207円87銭6厘、臨時費10万9,949円13銭6厘 計55万2,157円1銭2厘を以て北海道の経費所管なる。大蔵省より便理し陸軍省の所管に属し屯田兵司令官は屯田兵費支払い命令官並に歳入歳出に係わる下検査の任務を掌り会計主務官の任務は会計部長をして掌らしむ。 |
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副官荒城少佐予備役に入る。 |
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屯田兵服役満限の者除役取扱方を大隊長に委任する。 |
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屯田兵第1大隊千歳地方に於いて3日間野外演習を行う。 |
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4月 |
屯田兵会計部長を以て会計主務官及び収入官史の任務を掌らしむ。 |
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石狩国空知郡滝川村及び釧路国厚岸郡大田村に兵屋各440戸を建築する。 |
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第2大隊は室蘭地方に於いて1週間、第3大隊は江別近傍に於いて5日間、第4大隊は根室付近に於いて8日間野外演習を行う。 |
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5月 |
近衛及び師団予備・後備下士にして屯田兵を志願する者は採用し、移住の後2等軍曹に採用するを允す。 |
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屯田兵4大隊長和田少佐を屯田兵副官に、小泉屯田兵大尉を第4大隊長心得に補す。 |
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屯田兵移住給与規則公布 |
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6月 |
屯田兵増殖配備表を改正する。 |
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屯田兵第5大隊仮本部を石狩国空知郡滝川村に設置する。 |
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7月 |
新兵教育は入隊後3ヶ月間連続施行のことに改める。 |
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鹿児島、熊本、佐賀、福岡、山口、福井、石川、新潟、山形、兵庫、和歌山、宮城12県より屯田兵785戸、並びに十津川移民中より3戸を徴募し440戸を厚岸大田村へ移し第4大隊第3中隊、第4中隊を編成し、348戸を空知郡滝川村へ移し第5大隊第1中隊、第2中隊を編成する。 |
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8月 |
屯田兵条例を改正する。即ち屯田兵は屯田歩兵、屯田騎兵、屯田砲兵、屯田工兵を以て編成し、其の服役期限は現役3年、予備役4年、後備役13年通計20年とし、且つ後備満期後尚10年補充兵役に服せしむ。 |
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屯田兵司令部条例を改正し、司令官は直に天皇陛下に隷し、且つ大に司令官の職務権限を廣張し、概ね師団長と同一に帰す。而して従来の会計部及び給養官を廃し、更に軍史を置き、又、別に屯田兵監督部条例を定め、経理計算のことを監督せしむ。以上皆24年4月より実施すべき予定とする。その他、組織改正に関係し之と共に追加改正したるもの下の如し。 |
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(その1) |
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陸軍各兵科現役士官補充条例を追加し屯田兵各兵科士官の補充は他の同兵科の士官を以てするを正則とし当分補ふに札幌農学校兵科卒業の者を以てする。 |
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(その2) |
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現役下士補充条例を追加し、転科並びに屯田兵出身の外、尚近衛及び各師団の予備・後備役下士上等兵にして屯田兵となりたる者を以て補充する1項を増す。 |
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(その3) |
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陸軍予備補充将校補充条例を追加し、屯田兵予備下士にして1ヶ年間軍事学を修めたる者を以てする。 |
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(その4) |
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陸軍各科予備後備下士補充条例を追加し、近衛及び師団と概ね同一の法を以て補充する。その後、陸軍予備後備将校服務条例及び陸軍予備後備下士兵卒服務条例を追加し北海道徴兵令未行地(函館、福山、江差の外をいう)在籍の予備後備将校下士兵卒は総て屯田兵司令官の管轄に属せられる。 |
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屯田兵司令部条例公布 |
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家村副司令官心得、司令官代理を以て部下各隊に検閲を行う。 |
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札幌農学校兵学科特別科生卒業せる者24名に見習い士官を命じ各隊に附属せしむ。 |
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9月 |
陸軍各科現役上等兵補充条例に加条し屯田兵各兵科上等兵補充のことを定められる。 |
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屯田兵給与令(屯田兵土地給与規則)を交付せられる。 |
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近衛及び各師団より転科せる下士にして1ヶ年以上其の職を奉じたる者、更に屯田兵条例により屯田兵出身者と同一に服役することを許さる。 |
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平時屯田兵歩兵1大隊、屯田騎兵隊、同砲兵隊、同工兵隊の編制表を定められる。 |
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屯田兵稼穡表調査の手続を定める。 |
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屯田兵土地給与規則を定められ、従来給与地の1万坪を1万5千坪(下士は2万坪)増加し、且つ別に1戸1万5千坪の割を以て交有財産として毎兵村に給与される。 |
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10月 |
他より転科したる屯田兵下士、現官のまま屯田兵の養子となるを允さる。 |
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近衛及び師団予備・後備下士卒にして北海道徴兵令未行地に転籍する者は、当分勤務演習及び簡閲点呼に招集せず。 |
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24年徴募すべき屯田兵屋に充てる為、400戸を上川郡永山村に、100戸を空知郡沼貝村に建築の工を起こす。 |
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家村中佐は大佐に昇任し屯田兵副司令官に、小泉大尉は少佐に昇任し第4大隊長に補される。 |
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屯田兵大隊出動準備書一例を規定し、各隊出動準備の方針を開示し漸次整頓完備期せしむ。 |
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屯田兵教育順次草案を規定し、現役予備役教育の程度を図り且つ各隊画一を期す。 |
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兵村会規則を改良し、移住第3年より兵村公共の事件を管理経営せしむ。また、別に兵村諮問会規則を設け以て、移住後2ヶ年間兵村公共の事件を諮問せしむ。 |
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兵村公有財産取扱規程、新兵受渡手続、兵器弾薬授受手続、各隊官舎管理規則及び被服管理法を定めてその取扱方明らかにし、又、屯田兵及び屯田兵家族心得書を定め兵村の風紀を律する。 |
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屯田兵士官名誉律を定める。 |
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屯田兵の積立金は従来司令部に保管せしも本年4月その保管を解き各兵村に於いて蓄積金維持の方法を計画せしむ。 |
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各隊において使用せしむ「レミントン銃」を廃し、「ピポーマルチニー銃」に改める。 |
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11月 |
勅令266号を以て、明治21年以前召募の屯田兵及び屯田兵出身下士にして扶養手限満期の後なお現役に在る者、招集中若しくは公務に服し足るときは食料を給することを公布せらる。 |
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屯田兵徴募規則を廃止し、更に屯田兵召募規則を定める。従来屯田兵は各府県に於いて専ら士族中に志願者を検査しその年次所要の人員を採用するのを規定なりしが、爾後属籍を問わず廣く各府県の志願者中召募検査をし合格したる者より採用し且つ25年以降の屯田兵召募区及び召募人員を示定せり。(士族屯田兵から平民屯田兵へ移行) |
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北海道徴兵令未行地在籍の陸軍士官以上にして予備・後備に入る者及び休職停職となりたる者並びに下士にして予備・後備に入る者の考科表は、その際、調整官より屯田兵司令部へ送付し、司令部に於いて之を保存することとなれり。 |
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屯田兵第4大隊長心得小泉大尉は少佐に任じ、屯田兵第4大隊長に補される。 |
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各部隊武器弾薬授受の手続を定め、その取扱を一層厳重ならしむ。 |
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兵村会規則を改定し兵村諮問会規則を設け兵村会は兵村公有の事件を議するところにして移住後第3年に至り、之を開かしめ会員は凡て10戸より1名を投票選抜せる者とす。議事は概ね公共の財産及び営造物諸物品保存の監視、学校の維持、開墾事業の奨励改良、その他、勤勉貯蓄災害互救、道路橋梁修築及び兵村費用予算決算収入方法並び滞納者処分方法を定むること等なり、又、諮問会は移住後2ヶ年間開設し兵村公共の事件を諮問するものとせり。 |
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屯田兵家族心得書を定め、兵員及び家族居村日常の心得を示達せり。 |
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12月 |
副官和田少佐は中佐に任じ、同月屯田兵第3大隊長に補される。 |
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小泉少佐屯田兵副官に補される。 |
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1891(明治24)年 |
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2月 |
屯田兵配備表改定せられる。即ち本年4月以降歩兵は4個大隊、騎兵、砲兵、工兵は各1隊とする。其の歩兵第1大隊は元屯田兵第1大隊及び同第2大隊第1中隊を以て編制し、大隊本部を札幌に置く。歩兵第2大隊は元屯田兵第3大隊の2中隊及び同第5大隊の2中隊を以て編制し、大隊本部を空知に置く。歩兵第3大隊は本年新募の兵員をもって編制し、大隊本部を上川に置く。歩兵第4大隊は元屯田兵第4大隊を以て編制し、大隊本部を根室に置く。騎兵、砲兵、工兵各隊は本年新募の編員を以て編制し其の各本部を空知に置く。 |
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下士適任証書附与規則は自今屯田兵に於いても之を適用し、規則第4条に係わる者の取扱は屯田兵予備役に在ては所管大隊長をして処分せしむ。 |
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屯田歩兵射撃教令を定める。 |
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屯田歩兵副官栃内大尉は屯田兵第4大隊長心得に補せらる。 |
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3月 |
軽川附近に於いて第1第、2大隊を合し機動演習を施行する。 |
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屯田歩兵射撃優等者授与褒賞員数区分を定める。 |
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衛生部治療器械並びに調剤器械定数中屯田兵各隊及び監獄に係わる分を追加せらる。 |
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屯田兵司令部本部服務規則を定められ本年4月1日より施行する。 |
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屯田兵下士兵卒服務細則を廃し屯田兵服役細則を定められる。 |
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屯田兵司令部服務細則を定め4月1日より施行せしむ。且つ従前の司令部事務内規は同日限り之を廃しする。 |
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4月 |
屯田兵隊附医官服務規則並びに診断処規程を改定せらる。屯田兵監獄に在ても亦之に準拠す。 |
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休職・停職者取扱方に追加し、北海道徴兵令未行地在籍の休職・停職者は屯田兵司令部の所管たることを明らかにせらる。 |
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明治23年勅令第185号 陸軍各科現役下士補充条例改正 前屯田兵へ転科したる下士にして目下現役中及び再服役中の者は旧屯田兵条例示定の年期を保つものとすす。 |
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陸軍服装規則中加除改正し屯田各兵の服装を達せらる。 |
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理事録事服務概則項中屯田兵の3字を増加せらる。 |
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5月 |
将来馬匹補充に要する経費節減と馬種改良畜殖を計る為め、屯田騎兵隊及び屯田砲兵隊へ支給する馬匹は総て牝馬を用いることを認許せらる。 |
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本年度新設に係わる各隊本部を開置す。 |
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予備仕官候補として屯田歩兵各隊より下士18札幌農学校へ入学を命ずる。 |
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6月 |
永山武四郎北海道長官を免ぜられる。 |
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屯田騎兵、同工兵射撃教令を定む。 |
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屯田歩兵大隊旗を定めらる。 |
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屯田砲兵、同工兵軍事教育順次を定む。 |
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司令官の監督を以て株式銀行営業を開始する。 |
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此の月、兵庫、岡山、徳島、宮城、山形、新潟、高知、鹿児島、愛知、和歌山の10県より召募の歩兵400戸上川郡に、騎兵40戸、砲兵、工兵各30戸空知郡に移著す |
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8月 |
屯田兵給与金細則中予備士官に給与すべき服装品費用に係わる1項を加えらる。 |
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勅令第185号を以て屯田兵給与令中北海道車馬料を改正せらる。 |
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9月 |
司令官各隊検閲施行 |
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屯田兵監督部服務規則を定めらる。 |
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11月 |
勅令第231号を以て屯田兵移住給与規則中改正せらる。 |
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勅令233号を以て屯田兵給与令中改正せらる。 |
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12月 |
屯田兵参謀児玉工兵中佐会議幹事に専任す。 |
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屯田兵副官小泉少佐屯田兵参謀に、屯田兵参謀菊池大尉屯田兵少佐副官心得に補される。 |
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1892(明治25)年 |
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1月 |
兵村会規則を改正する。 |
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勅令第8号を以て陸軍高等官衙副官中に屯田兵副官を加うることを公布せらる。 |
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屯田兵給与令細則中改正される。 |
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屯田兵召募規則中改正される。 |
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2月 |
屯田兵第1大隊長本田中佐休職。第2大隊長野崎少佐第1大隊長に補される。 |
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同月吉田清憲大尉屯田歩兵第2大隊長心得に補される。 |
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3月 |
勅令22号を以て屯田歩兵隊家屋その他焼失品再給費支出の件を裁可せらる。 |
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屯田兵軍医長松島2等軍医正、近衛歩兵第1聯隊附に転じ、山上2等軍医正屯田兵軍医長に補される。 |
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北海道に於いて軍人軍属及び其家族治療のとき薬剤等給与方並びに屯田兵移住給与規則中の薬価額を定める。 |
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昨年農学校へ入学せしめたる下士18人予備少尉に任ぜらる。 |
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4月 |
屯田兵各隊経理手続を定める。 |
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7月 |
第3大隊第3、第4中隊本部を開設する。 |
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8月 |
青森、京都、大分、香川、愛媛、岐阜、滋賀、富山、埼玉、秋田、東京、鹿児島、兵庫の2府11県より召募の屯田兵396戸を上川郡に、騎兵40戸、砲兵30戸、工兵30戸を空知郡に移植する。 |
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9月 |
司令官各隊の検閲を行う。 |
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10月 |
勅令86号を以て、各師団の諸隊並びに陸軍官廨府下士にして屯田兵に転ずる者は願いに依り屯田兵条例に依り服役することを得る。其の諸給与は屯田兵として移住する者及び屯田兵出身下士に同であることを公布される。 |
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勅令第88号を以て、屯田兵条例中予備・後備服役中は戦時若しくは事変に際し召集する。また、平時にあって勤務演習その他特に公務に服させるため召集することを公布せられる。 |
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勅令89号を以て、屯田兵移住給与規則中の条項を改正される。 |
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11月 |
本年より司令官は師団長会議に列席のため上京 |
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菊池大尉少佐に任じ屯田兵副官に、栃内大尉少佐に任じ屯田歩兵第4大隊長に補される。 |
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12月 |
屯田兵教育順次教令を改正する。 |
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屯田兵召募規則中改正追加し、1家内労働者人数の制限、家族身体証明書等について定める |
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1893(明治26)年 |
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1月 |
屯田兵士官下士補充細則を廃し、更に屯田各科現役下士補充細則が定められる。 |
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屯田兵補欠として本年度特に兵庫、岡山、徳島、高知の4県より屯田兵志願者を召募することを告示される。 |
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3月 |
屯田歩兵第1・第2・第3大隊及び屯田騎兵・砲兵・工兵隊を合し島松付近に於いて機動演習を施行する。 |
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司令官の監督に係わる株式屯田銀行業務の監督を解き普通銀行となる。 |
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4月 |
予備役屯田兵出身下士及び兵卒召集手続きを定める。 |
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5月 |
福島、山口、徳島、岡山、広島、静岡、鳥取、栃木、長崎、佐賀、高知、愛知、島根、兵庫、長野、福岡、群馬の17県より召募の屯田兵400戸を上川郡に、100戸を空知郡に移植する。その兵科別戸数は前年に同じ。 |
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6月 |
屯田兵給与令細則中改正される。 |
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7月 |
明治27年度屯田兵増殖配備表を定められる。 |
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来る27年に於いて各師団諸隊及び各官廨附下士中屯田兵条例に服役を許すべき人員を定められる。 |
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8月 |
副司令官、屯田騎兵、砲兵、工兵隊、屯田歩兵第2大隊(第3中隊、第4中隊)、同第3大隊、第4大隊の検閲を行う。 |
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9月 |
屯田兵司令部の官制を改革せられ副司令官及び少佐参謀を廃止し、参謀長が置かれ歩兵中佐浅田信興が参謀長に補される。 |
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初めて砲兵第1方面札幌支署が置かれ、砲兵大尉安田太郎支署長に補される。 |
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初めて札幌陸軍経営部を置かれ、1等軍史佐藤業富経営部主管に補される。 |
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1894(明治27)年 |
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6月 |
日清開戦を前に、将校以下一般に休暇他行をさし止められる。 |
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1895(明治28)年 |
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3月 |
動員下令臨時第七師団編成される。師団長を師団司令官と称される。 |
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30日征清第1軍に編入せられ東京に出征待命 |
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5月 |
復員下令 |
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6月 |
臨時第7師団復員解散結了する。 |
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1896(明治29年) |
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5月 |
勅令第115号により屯田兵下士卒に賞を賜わる。永山師団長次の訓辞を発する。「・・・・」 |
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第七師団創設される。陸軍中将永山武四郎第七師団長に補される。屯田兵司令部を廃止し、第七師団司令部を開庁する。 |
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6月 |
兵村監視服務細則を規定する。(北達第12号) |
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屯田兵後備役公有財産財産取扱委員会規則を定める。 |
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札幌聯隊区司令部を屯田兵歩兵第1大隊本部建物に移転させる。 |
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9月 |
屯田兵召募規則第5条により屯田兵志願者履歴書戸籍明細書及び家族身体証明書は第七師団司令部に直送せず本年限り聯隊区司令部に送付の事を陸軍省副官より各関係師団に通帳の報を受ける。 |
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1897(明治30)年 |
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3月 |
勅令第29号を以て給与令中改正される。 |
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法律第26号を以て北海道国有未開地処分法を定められる。 |
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法律第42号をもって屯田兵に給与の建物馬匹譲渡又は質入れ書入となし、又債務の抵当として是を差し押さえる事を得ざる件規定される。 |
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1898(明治31)年 |
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3月 |
陸軍給与令細則第6章中改正せられる。 |
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4月 |
天塩国屯田兵移植地調査する。 |
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12月 |
明治32年度屯田兵移植地として天塩国剣淵を視察する。 |
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1899(明治32)年 |
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2月 |
31年9月水害罹災の屯田兵に特別救助として扶助米及び塩菜料を給与される。 |
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屯田兵給与細則中隊付特別加俸支給区分を改正される。 |
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4月 |
屯田兵内務規定案中門標の件追加する |
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5月 |
屯田歩兵第3大隊第3、4中隊を天塩国上川郡剣淵村に、同5中隊を同士別に新設する。 |
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8月 |
屯田兵隊内務規定案中旅行者及び門標同居者等の件改正する。 |
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11月 |
屯田兵配備表中屯田歩兵第3大隊に関する備考第2項削除せられる。屯田歩兵第3大隊本部天塩国上川郡剣淵村に移転する。 |
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屯田兵給与金細則中被服保続料は召集日数に対する定額を該隊に交付の件改正される。 |
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積立金取扱手続きを定められる。 |
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12月 |
屯田兵村に於いて41戸屯田兵土地給与規則第6条により没収処分を行う。 |
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1900(明治33)年 |
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4月 |
屯田兵第3大隊第1中隊、第2中隊後備役に編入される。 |
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永山武四郎中将、第七師団長免官、休職。 |
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5月 |
屯田兵第2大隊第1中隊及び江別兵村に於いて各1戸土地没収処分を行う。 |
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6月 |
屯田兵給与令中馬匹保続料の区画5円を10円に、飼養料の区画甲額5円を8円に改正される。 |
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屯田兵隊及び兵村公有金取扱規程を定める |
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1901(明治34)年 |
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3月 |
屯田歩兵第2大隊、屯田騎兵隊、屯田砲兵隊、屯田工兵隊解隊する。 |
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8月 |
土地給与規則第6条により38戸没収処分を行う。 |
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9月 |
屯田兵及び兵村に給与したる土地の登録免除に関する件制定される。 |
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10月 |
第七師団司令部札幌から旭川へ移転 |
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師団司令部条例中屯田兵の徴募補充の件削除される。 |
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屯田兵条例中服役及び後備役下士卒管轄に関する件改正される。(屯田兵現役期限5年) |
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屯田兵移住給与規則中後備役編入の際、扶助米及び塩菜料一時給与の件改正される。 |
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屯田兵後備兵村及び下士卒監視規則を廃止される。 |
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屯田歩兵配備表中削除行はる |
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兵村会概則を廃止される。 |
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1902(明治35)年 |
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3月 |
屯田歩兵第1大隊解隊 |
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4月 |
屯田兵給与令、中隊付特別加俸を削除される。 |
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1903(明治36)年 |
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4月 |
屯田歩兵第4大隊を解隊する。これによって屯田兵現役、予備役は皆無となる。 |
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1904(明治37)年 |
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8月 |
4日、日露開戦に伴い第七師団動員下令。後備役屯田兵も充員召集。 10月九州を出立 |
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9月 |
屯田兵条例廃止される。 |
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1905(明治38)年 |
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3月 |
後備役屯田兵に動員下る。 |