奥野鹿之助

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[編集] プロフィール

奥野 鹿之助(明治24年7月入地 岡山県出身 兵屋番号86番)


[編集] 出典元

『屯田兵座談会 開拓血涙史』(1943年・昭和18年)

[編集] 要旨

志願の動機について


[編集] 証言内容

私は恰度明治十八年、石川縣から募集されて来たのであります。父が警察官でありましたので屯田兵志願のことについては、母も私共も一切知らなかつたので&ります。私は偶々、縣廳から身體検査をするから来いと云ふので参りました。體が非常によかったので、幸ひに合格したのでありますが、検査を何んのためにやるのか、すこしも判りませんでした。そして、後になって北海道に行かねばならぬことを聞いて大騒ぎをしたのです。その為め、親類の者が、集って願ひ下げをするとか、行ってはいけないとか、随分反對をされたものです。
あの時分では、北海道と云へぱ、現在に於ける北極探険以上に心配したものでした。却々父の意思に、家族や親類の者が同意しないのであります。その時、後年琴似の村長になられた方ですが、縣大尉が見へて説得してくれましたので、家族のものも、それなら行ってもよからうといふことになりました。父は無論喜びました。當時父は非常な決心でどうしても、北海道を墳墓の地として、再び帰らないと決心してゐたやうでした。然し賓際はその後何度も婦りましたけれども〜そして、本當に南極から北極へでも行く気持で、北海道に渡って来たのであります。


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