「末永幾太郎」の版間の差分
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− | + | 当時私達は内地に在っても、これと言って面白いこともなく暮らしていた。会々[[屯田兵募集]]の話を聞き、いろいろ聞いてみると、淋しい処ではあるが、二年辛抱すれば三百円位の金は楽々残る、土地なんぞ拓かなくとも、樹を伐って売っても、それ位の金は雑作なく出かすに良い。そういった話を聞くにつけ、二年位の辛抱なら、石にカブリ付いてもできない事もなかろう。よし一番行って死んだつもりで辛抱し、三百円の金ができたら、帰国して何か商売でも始めよう。まあそんな考えで来たのでしたが、来てみると想像以上の山の中で、とても辛抱する気も何もなくなり、今日は逃げようか、明日は……とそんな風な事ばかり考えて暮らす中、よう逃げる事も仕得ず、今日どうにか暮らしてゆけるようになったのは、これ皆お上のお蔭と喜んでいる次第です。<br> |
2013年6月14日 (金) 12:39時点における最新版
目次 |
[編集] プロフィール
- 末永 幾太郎(明治20年5月入地 福岡県出身 兵屋番号17番)
[編集] 出典元
- 『新琴似百年史』(1986年・昭和61年)<『新琴似兵村史』(1936年・昭和11年)
[編集] 要旨
- 死んだつもりで辛抱し、逃げようと思ったこともあった
[編集] 証言内容
当時私達は内地に在っても、これと言って面白いこともなく暮らしていた。会々屯田兵募集の話を聞き、いろいろ聞いてみると、淋しい処ではあるが、二年辛抱すれば三百円位の金は楽々残る、土地なんぞ拓かなくとも、樹を伐って売っても、それ位の金は雑作なく出かすに良い。そういった話を聞くにつけ、二年位の辛抱なら、石にカブリ付いてもできない事もなかろう。よし一番行って死んだつもりで辛抱し、三百円の金ができたら、帰国して何か商売でも始めよう。まあそんな考えで来たのでしたが、来てみると想像以上の山の中で、とても辛抱する気も何もなくなり、今日は逃げようか、明日は……とそんな風な事ばかり考えて暮らす中、よう逃げる事も仕得ず、今日どうにか暮らしてゆけるようになったのは、これ皆お上のお蔭と喜んでいる次第です。