「トーク:屯田兵の服装」の版間の差分
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2020年4月28日 (火) 22:50時点における最新版
- 服制の制定と実際の運用の時期のズレについて
屯田兵が着用する制服の仕様については、『官報」その他の公文書で制定の過程がある程度判明するが、その仕様に基づいた制服が何時から施行・運用されたのか、時期が明らかでない。黒田案の北辰章の付いた初期の制服、明治19年の改正服制の運用開始時期、特に屯田兵の特徴でもある「藍霜降」使用に至った経緯(色は憲兵の藍に準じたように思われる)も含めて時期がはっきりしない。明治19年の改正時には、屯田兵は特殊なので実施時期は暫く遅れる、といった趣旨の説明文が付されており、実際にどうであったかは屯田事務局や各兵村の記録等から探るほかないように思われる。関連する資料等ありましたら連絡または追記願います。
- 明治28年以降の襟の徽章について
屯田兵の軍袴の色が「藍霜降」から「紺」に改正された際に、屯田兵識別のため「襟の両端に特別の徽章」をつけることが決まったが、その徽章がどのようなものか分かりません。これに関する公文書は、屯田アーカイブスに収録してあります。
<<<<<「特別の徽章」は北海道教育委員会『屯田兵』によると「北の文字だったらしい」とか。
<<<<< 修正編集しました
- 美唄屯田兵は騎兵ですが、一般の屯田兵と同じ紺絨衣に藍霜降絨袴だったのでしょうか?それとも、騎兵の赤に萌黄側章、肋骨服とおなじでしょうか?
<<<<< 修正編集しました。上下とも紺絨で、下士に限り袴が一般騎兵と同じ緋絨だが、肋骨服ではなかったようです。