北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:篠路
永久の離郷と決意し、旅立った人々は名だけの兵村、一大湿地帯を眺め一様に驚きを見せながらもすでに入植していた新琴似の人々の温かい歓迎に多少ながら不安を柔らげた。
厳しい自然との闘いに挑んだ篠路の屯田家族だったが、石狩川の融雪期には毎年のように水害の苦しみを舐めなければならなかった。一朝にして辛苦の結晶を皆無にする自然の力に抵抗する術もなく他に活路を求めるのはやむを得なかったといえよう。
後に土功組合を結成し、兵村公有財産のすべてを水田の灌漑溝造成に充当し、水田地帯の礎とした屯田兵たちの洞察力と決断は間違っていなかった。札幌市と合併して住宅地区に大きく変貌したが、先人の偉業を偲ぶ共有財産はこの地区の人々の心の中に今も脈々と生き続けている。
篠路兵村
1911/12/02
基本データ
入植年 明治22(1889)年
入植地 札幌市北区屯田
出身地 西日本中心に7県
入植戸数 220戸
第1大隊
第2大隊
騎兵・砲兵・工兵隊
第3大隊
第4大隊
石狩川氾濫と闘い 今は一大住宅街