北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:一已
一已(いちやん)地区は、三条実美公爵をはじめ蜂須賀、菊亭などの華族が大農場を計画したところで、一巳兵村の周囲はその小作農家の多い地帯であった。
雨竜屯田の第一大隊本部が置かれた一巳兵村に入植した人々は、ただちに抽選で決まっていた兵屋に入居した。といっても急ごしらえの道があるだけで兵屋は原始林の真っ只中だった。伐採は兵屋にある給与地の周囲から始めなくてはならなかった。
秋の演習では、一巳を見わたす丸山の頂上まで武装したまま駆けのぼるといったことが繰り返された。後に日露戦争での二百三高地攻略に当たって「丸山での訓練が生きた」と述懐している。現在、この丸山から望む発展した深川市街は屯田兵がいつも夢みる第二の故郷であった。
南一已兵村


北一已兵村


【屯田兵の回顧談】
南一已兵村
北一已兵村
1905/12/03
基本データ
入植年 明治28(1895)年
同29(1896)年
入植地 深川市一已町
出身地 北陸から九州まで
22道府県
入植戸数 400戸

第1大隊










第2大隊






騎兵・砲兵・工兵隊



第3大隊









第4大隊









203高地で生きた反復登頂訓練