「篠路兵村」を編集中
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! | ! | ||
− | | 福岡 || | + | | 福岡 || 12 |
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! 中国 | ! 中国 | ||
− | | 山口 || | + | | 山口 || 44 |
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! 四国 | ! 四国 | ||
67行: | 67行: | ||
=== 出身地 === | === 出身地 === | ||
− | + | 篠路屯田兵は、明治22(1889)年入地の220人で、大半が西日本出身者だった。府県別では、熊本県46人、山口県44人、和歌山県37人、石川県32人、徳島県29人、福井県20人、福岡県12人となっている。 | |
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篠路屯田兵の募集は、明治22(1889)年5月に徴募官一行が和歌山県から入って、四国、九州へと巡回して行われた。この前後の4月から6月にかけて、各県の新聞が徴募の告知や志願状況、合格者発表などを細かに報じた。 | 篠路屯田兵の募集は、明治22(1889)年5月に徴募官一行が和歌山県から入って、四国、九州へと巡回して行われた。この前後の4月から6月にかけて、各県の新聞が徴募の告知や志願状況、合格者発表などを細かに報じた。 | ||
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− | 篠路屯田兵220戸家族を合わせて1,056人の輸送には、英国製で共同運輸(現・日本郵船)から借り上げた貨客鉄船「[[相模丸]]」(1, | + | 篠路屯田兵220戸家族を合わせて1,056人の輸送には、英国製で共同運輸(現・日本郵船)から借り上げた貨客鉄船「[[相模丸]]」(1,926トン)が使用され、明治22(1889)年7月14日、小樽港に着岸した。手宮から琴似までは幌内鉄道の炭車に乗って移動し、篠路兵村までは徒歩で移動した。 |
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