「大村元吉」を編集中

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#[[軍律]]が厳しかったのも意想外であった。土曜日ごとには、針一本に至るまで給与された物品の全部検査を受けた。農具などの破損した場合には、いちいち届け出て、それから修繕にやる。お昼などもきっぱり十二時の食事[[喇叭]]の鳴らぬうちはたとえ三分、五分前でも、どんなに腹がへろうと食べることが出来ぬ。<br>
 
#[[軍律]]が厳しかったのも意想外であった。土曜日ごとには、針一本に至るまで給与された物品の全部検査を受けた。農具などの破損した場合には、いちいち届け出て、それから修繕にやる。お昼などもきっぱり十二時の食事[[喇叭]]の鳴らぬうちはたとえ三分、五分前でも、どんなに腹がへろうと食べることが出来ぬ。<br>
 
#[[陸軍始]]や招魂祭大演習などには[[札幌]]に出たが、冬の行軍には閉口した。[[永山将軍]]が外国においでになるとき、告別の閲兵分列式があったが、式場には雪が胸くらいまであるので、全員つまごで踏み固めたけれども、それでも分列式が出来ず、[[閲兵]]だけで終わった。何一つとしてなつかしの種にならぬものはない。<br>
 
#[[陸軍始]]や招魂祭大演習などには[[札幌]]に出たが、冬の行軍には閉口した。[[永山将軍]]が外国においでになるとき、告別の閲兵分列式があったが、式場には雪が胸くらいまであるので、全員つまごで踏み固めたけれども、それでも分列式が出来ず、[[閲兵]]だけで終わった。何一つとしてなつかしの種にならぬものはない。<br>
 
[[Category:証言|おおむら]]
 

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