「大久保喜一郎」を編集中

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#そこですぐさま行李匆々一家を挙げて、鹿児島へ出向、二、三日滞在するうち、県下応募の十一戸も集合したので小蒸気で鹿児島発肥後の百貫に到着、そこで[[御用船]][[日ノ出丸]]に乗船した。これより先、時の[[県令]][[渡辺千秋]]氏は、一同を県庁に引見し「皆様は昔の武士即ち士族で、百姓には慣れないことであろうが、兵役の関係は私から申すまでもなく、よくお分りのことと思うのでこの上は充分気をつけて規則を守り、大いに国家のために奮励して下さるよう、もちろん国家としては特種の恩典もあるのであるから、古の武士的精神を発揮し、一方健康に充分留意して働いて下さい云々」と、非常に丁寧な訓示に代わる一場の別辞を叙べ、最後に柄に忠君愛国と書かれた手斧一挺を賤別として与えられた。かくて郡役所の兵事課員及、県庁の同係員等に百貫まで見送られて郷国との永の別れを告げたのである。<br>
 
#そこですぐさま行李匆々一家を挙げて、鹿児島へ出向、二、三日滞在するうち、県下応募の十一戸も集合したので小蒸気で鹿児島発肥後の百貫に到着、そこで[[御用船]][[日ノ出丸]]に乗船した。これより先、時の[[県令]][[渡辺千秋]]氏は、一同を県庁に引見し「皆様は昔の武士即ち士族で、百姓には慣れないことであろうが、兵役の関係は私から申すまでもなく、よくお分りのことと思うのでこの上は充分気をつけて規則を守り、大いに国家のために奮励して下さるよう、もちろん国家としては特種の恩典もあるのであるから、古の武士的精神を発揮し、一方健康に充分留意して働いて下さい云々」と、非常に丁寧な訓示に代わる一場の別辞を叙べ、最後に柄に忠君愛国と書かれた手斧一挺を賤別として与えられた。かくて郡役所の兵事課員及、県庁の同係員等に百貫まで見送られて郷国との永の別れを告げたのである。<br>
 
#当時私は軍人志望であったため、北方の警備に任ずる身だと思うと、言い知れぬ喜悦に胸の若き血潮の高鳴りを禁じ得なかった。一週間目に[[小樽]]に上陸、鉄路[[琴似駅]]に到着すると、旧琴似の屯田幹部員に出迎えられ、それらの人達の案内で現在の土地に入ったのだが、途中の道路の悪さよりも何よりも、昼なお暗き[[原始林]]を見た時、一種意外の感に打たれずにはいなかった。まさかなんぽなんでもこうまでひどい荒山だとは夢想だにもしてなかった。百姓はもちろん初めてではあったが、国にいた時周囲が農村であったために、見様見真似で若干の知識を持っていたので、ちょっと聞くと大概要領を得て好都合であった。今日まで開拓についてはあらゆる辛酸を嘗めたが、そのために心志を苦しめるなどという事は毛頭なかった。<br>
 
#当時私は軍人志望であったため、北方の警備に任ずる身だと思うと、言い知れぬ喜悦に胸の若き血潮の高鳴りを禁じ得なかった。一週間目に[[小樽]]に上陸、鉄路[[琴似駅]]に到着すると、旧琴似の屯田幹部員に出迎えられ、それらの人達の案内で現在の土地に入ったのだが、途中の道路の悪さよりも何よりも、昼なお暗き[[原始林]]を見た時、一種意外の感に打たれずにはいなかった。まさかなんぽなんでもこうまでひどい荒山だとは夢想だにもしてなかった。百姓はもちろん初めてではあったが、国にいた時周囲が農村であったために、見様見真似で若干の知識を持っていたので、ちょっと聞くと大概要領を得て好都合であった。今日まで開拓についてはあらゆる辛酸を嘗めたが、そのために心志を苦しめるなどという事は毛頭なかった。<br>
 
[[Category:証言|おおくぼ]]
 

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