「北海道志」を編集中

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[[ファイル:Hokkaidosi.jpg|right|360px|『北海道志』の表題]]
 
 
'''北海道志'''(ほっかいどうし)は、明治初期の北海道の開拓の状況を政治経済、産業文化、風俗、地理、天文地象、事績などの区分によって総合的に記述した地誌で、明治17(1884)年3月に開拓使の編集により大蔵省から刊行された。明治2(1869)年設置の開拓使により大きく変貌した当時の北海道の状況を知る上で極めて貴重な史料の一つ。全35巻のうち「巻之二十二」には、[[屯田兵]]の一項が立てられ、屯田兵制度の導入の経緯と琴似、山鼻、江別兵村の開拓の状況が記述されている。
 
'''北海道志'''(ほっかいどうし)は、明治初期の北海道の開拓の状況を政治経済、産業文化、風俗、地理、天文地象、事績などの区分によって総合的に記述した地誌で、明治17(1884)年3月に開拓使の編集により大蔵省から刊行された。明治2(1869)年設置の開拓使により大きく変貌した当時の北海道の状況を知る上で極めて貴重な史料の一つ。全35巻のうち「巻之二十二」には、[[屯田兵]]の一項が立てられ、屯田兵制度の導入の経緯と琴似、山鼻、江別兵村の開拓の状況が記述されている。
 
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== エピソード ==
 
== エピソード ==
  
北海道に関する地誌としては、新井白石による『蝦夷志』(享保5年)以来、『松前志』(天明3年・松前広長)『蝦夷拾遺』(天明6年・山口玄六郎)『北島志』(豊田亮)「蝦夷史料』(前田夏蔭)などがあった。また、開拓使は年次別の『[[開拓使事業報告]]』を編纂していたが、北海道開拓の集大成とも言える地誌の編纂には、開拓長官・[[黒田清隆]]の強い意向があったとみられる。編纂作業は開拓使設置10年目の明治13(1880)年2月にスタートし、主任の開拓使四等出仕・[[猪野中行]]は、資料と原稿を抱えて東京、函館、東京と赴任先を移動した。この間に近火の巻き添えを免れるなどアクシデントもあったが、明治16(1883)年12月無事校了し、当時内閣顧問となっていた黒田の序文が添えられた。
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北海道に関する地誌としては、新井白石による『蝦夷志』(享保5年)以来、『松前志』(天明3年・松前広長)『蝦夷拾遺』(天明6年・山口玄六郎)『北島志』(豊田亮)「蝦夷史料』(前田夏蔭)などがあった。また、開拓使は年次別の『開拓使事業報告』を編纂していたが、北海道開拓の集大成とも言える地誌の編纂には、開拓長官・黒田清隆の強い意向があったとみられる。編纂作業は開拓使設置10年目の明治13(1880)年2月にスタートし、主任の開拓使四等出仕・猪野中行は、資料と原稿を抱えて東京、函館、東京と赴任先を移動した。この間に近火の巻き添えを免れるなどアクシデントもあったが、明治16(1883)年12月無事校了し、当時内閣顧問となっていた黒田の序文が添えられた。
  
 
== 屯田兵との関連 ==
 
== 屯田兵との関連 ==

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