「兵屋」を編集中

移動: 案内検索

警告: ログインしていません。

編集すると、IPアドレスがこのページの編集履歴に記録されます。
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を保存して取り消しを完了してください。
最新版 編集中の文章
119行: 119行:
 
== エピソード ==
 
== エピソード ==
  
=== 永山兵村建設で民間業者がバンザイ ===
 
 
旭川のまちづくりの原点ともなった永山兵村の建設は、明治23(1890)年に始まった。第二中隊の兵屋200戸は樺戸と空知の集治監が受け持ち、第一中隊の200戸の建設は札幌の北海商会が請け負うことになった。ところが、長雨が続いたために建設用の木材や食糧の搬入が困難になってしまった。建設作業員は、神居の集治監出張所で作った馬鈴薯でなんとか食をつないだが、北海商会は資金難に陥り、100戸を集治監に、残り100戸を札幌の業者が代わって請け負うことになった。そんな事態を皮肉った戯れ歌が巷間に流れた。<br>
 
::北海商会 どうしようかい
 
::朝かい 昼かい 晩もかい (かいは粥を指す)
 
::ごしょ芋なんぞを 食うのかい
 
::それでも職人 稼ぐのかい
 
  
 
<br>
 
<br>

tondenwikiへのすべての投稿は、他の利用者によって編集、変更、除去される場合があります。 あなたの投稿を、他人が遠慮なく編集するのを望まない場合は、ここには投稿しないでください。
また、投稿するのは、あなたが書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください (詳細はTondenwiki:著作権を参照)。 著作権保護されている作品を、許諾なしに投稿してはいけません!

中止 | 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)
個人用ツール
名前空間

変種
操作
管理運営
案内
ツールボックス
屯田兵名簿データベース
屯田兵デジタル・アーカイブス