「中山武雄」の版間の差分

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== プロフィール ==
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Normally I'm against killing but this article sleuehtgrad my ignorance.
 
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:中山 武雄(明治21年5月入地 大分県出身 兵屋番号209番)
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== 出典元 ==
 
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#入地の当初ほとんど一週間と言うもの、陽の目を見ない小雨続きで気をくさらすさえあるのに、かてて加えて思ったよりひどい樹林地帯の四周を見ては実は心中密かにウンザリしてしまったものだ。しかし翻って自分達の使命を考える時、そんな意気地のないことでどうなるものかと、気を励まして懸命に開拓にいそしんだ。<br>
 
#入地の当初ほとんど一週間と言うもの、陽の目を見ない小雨続きで気をくさらすさえあるのに、かてて加えて思ったよりひどい樹林地帯の四周を見ては実は心中密かにウンザリしてしまったものだ。しかし翻って自分達の使命を考える時、そんな意気地のないことでどうなるものかと、気を励まして懸命に開拓にいそしんだ。<br>
 
#その間今思ってもゾッとすることがある。それは伐り方作業である。不慣れなうちはよくトンマな伐り方をするものだが、どうかすると冷水三斗の思いは愚か、死線を越えたことなど幾度あったか知らない。それから苦しい思いをしたのは、雨上りの日の[[教練]]であった。ヌカ蛾の襲来……姿勢は崩されず、やむなく顔を顰めると、なんという顔をするかと怒られた。<br>
 
#その間今思ってもゾッとすることがある。それは伐り方作業である。不慣れなうちはよくトンマな伐り方をするものだが、どうかすると冷水三斗の思いは愚か、死線を越えたことなど幾度あったか知らない。それから苦しい思いをしたのは、雨上りの日の[[教練]]であった。ヌカ蛾の襲来……姿勢は崩されず、やむなく顔を顰めると、なんという顔をするかと怒られた。<br>
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[[Category:証言|なかやま]]

2017年5月24日 (水) 10:24時点における最新版

Normally I'm against killing but this article sleuehtgrad my ignorance.

[編集] 出典元

『新琴似百年史』(1986年・昭和61年)『新琴似兵村史』(1936年・昭和11年)

[編集] 要旨

  1. 屯田兵募集に父が興味を持っていたのを知り応募した
  2. 大分県庁で鍬と釜を餞別としていただいた
  3. 小樽の越後屋に一泊し土地の抽選をした
  4. 大樹林にうんざりしながらも自分を叱咤した
  5. 伐採で危うい体験、雨上がりの教練、蛾の襲来に苦しんだ

[編集] 証言内容

  1. 明治二十一年の春のこと、屯田兵募集の挙があるを耳にした父がこれに大変興味を持ち、私に応募すべく慫慂するところがあった。翻って予々自分もまた北門鎖鑰の大任を帯びて新天地に活躍の雄志は、内心に欝勃と抱懐している。ただ、父の意を計り兼ねて、実は躊躇しているにすぎなかった。ここに父の言葉は私にとって正に渡りに舟で、早速応募出頭に及んだ次第である。かくて一切の手続終了後これが許可を得た。
  2. そして移住の第一歩は、まず郡役所兵事課員の斡旋のもとに別府に集合することとなった。私は旧中津奥平藩であるが、維新後一家は中津在高瀬村に移っていた。確か五月の節句の前後と記憶するが、そこから別府へ出ると、宿舎割がしてあって、そこで郡役所の手から県庁の手へ引継がれた。いよいよ出発の当日、時の県令西村良吉氏が大分団体十九名を県庁に引見し、丁寧懇切な一場の訓示に兼ぬるに悲壮なる別辞を述べ、終るや、各員に対して、平鍬及び鎌各一挺を賤別として贈るところあった。
  3. 五月十三日岡山、徳島の団体を乗せた兵庫丸に乗船、大分を発し途中博多に寄港、そこで佐賀、福岡の二団体を乗せ鳥取に寄港、島根団体を乗せ、一路函館着。ここで室蘭方面団体と別れ私達札幌方面の者は田子ノ浦丸に乗換えて小樽に航行することとなった。途中岩内沖に於て大時化に逢着して、惨憺たる目に遭ったが一行に異状もなく小樽着、直ちに越後屋旅館に入り一泊、その間に於て入地すべき土地の抽籤を終り、翌日鉄道に依って琴似駅に着いた。駅頭には旧琴似屯田兵の幹部諸公と、古兵の村山正隆氏ほか数名とが出迎えていた。
  4. 入地の当初ほとんど一週間と言うもの、陽の目を見ない小雨続きで気をくさらすさえあるのに、かてて加えて思ったよりひどい樹林地帯の四周を見ては実は心中密かにウンザリしてしまったものだ。しかし翻って自分達の使命を考える時、そんな意気地のないことでどうなるものかと、気を励まして懸命に開拓にいそしんだ。
  5. その間今思ってもゾッとすることがある。それは伐り方作業である。不慣れなうちはよくトンマな伐り方をするものだが、どうかすると冷水三斗の思いは愚か、死線を越えたことなど幾度あったか知らない。それから苦しい思いをしたのは、雨上りの日の教練であった。ヌカ蛾の襲来……姿勢は崩されず、やむなく顔を顰めると、なんという顔をするかと怒られた。
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