篠路兵村

提供: tondenwiki
2023年5月21日 (日) 09:08時点におけるHiro kaji (トーク | 投稿記録)による版

(差分) ←前の版 | 最新版 (差分) | 次の版→ (差分)
移動: 案内検索

篠路兵村は、(この項は編集途中です)

目次

[編集] 年表

篠路兵村史。

  • 明治21(1888)年 兵屋建設に着手(9月)、琴似兵村に至る琴似新道(茨戸街道)と札幌に至る新琴似道路が完成
  • 明治22(1889)年 屯田兵220戸1,056人が入植移住(5月20日)、第2陣向け兵屋74戸建築(10月)、私立小学校を開設(12月3日)
  • 明治21(1888)年 岩内へ春季行軍(4月)、屯田兵第2陣74戸が入植移住(7月)
  • 明治24(1891)年 私立海南尋常高等小学校を設置(4月)
  • 明治25(1892)年 予備役に編入(7月)、開村記念祭を開催(7月15日)、小村亀十郎が井戸水利用し稲作に成功
  • 明治26(1893)年 島松で春季演習(3月)、篠路兵村青年会が競馬会を設立(7月)
  • 明治27(1894)年 私立海南尋常高等小学校が公立海南尋常小学校となる
  • 明治28(1895)年 日清戦争に動員令下る(3月)、復員(6月)
  • 明治29(1896)年 後備役編入により中隊本部引き上げ
  • 明治31(1898)年 洪水により兵村の3分の2が水没(9月)、収穫ゼロのため離村が相次ぐきっかけとなる
  • 明治32(1899)年 水害罹災兵村に指定される、篠路村戸長役場が設置され兵村も傘下に入る(4月)
  • 明治34(1901)年 篠路屯田青年会が発足
  • 明治37(1904)年 水害(7月)、日露戦争に出征(8月)
  • 明治38(1905)年 篠路兵村の人口が72戸555人と入植時から半減(4月)、日露戦争から復員し凱旋祝賀会開催(10月)
  • 明治39(1906)年 二級町村制施行により篠路村は琴似村に移管(4月)
  • 明治40(1907)年 公有財産を部落会に引き継ぎ、兵村のものとし管理を琴似村長とする(4月)
  • 明治42(1909)年 忠魂碑を建立(7月)
  • 明治43(1910)年 江南神社が村社となる
  • 大正 2(1913)年 篠路兵村土功組合に認可(8月)
  • 大正 4(1915)年 篠路兵村潅漑溝工事に着手(翌年6月完成)
  • 昭和 3(1928)年 篠路兵村開基40年記念式を開催、開拓記念碑を建立(7月)
  • 昭和 7(1932)年 石狩川の氾濫で冠水被害(9月)
  • 昭和12(1937)年 篠路兵村銃後講演会を設立(8月)
  • 昭和16(1941)年 篠路兵村部落連合会発足、大凶作
  • 昭和27(1942)年 屯田遺族講演会が発足(8月)
  • 昭和30(1955)年 琴似町が札幌市と合併、札幌市屯田町となる


[編集] 出身地と入植

篠路屯田兵の出身地一覧表
圏域 府県 明治20年
九州 熊本 46
福岡 13
中国 山口 43
四国 徳島 29
北陸 福井 20
石川 32
近畿 和歌山 37
220

[編集] 出身地

篠路屯田兵は、明治22(1889)年入地の220人で、大半が西日本出身者だった。府県別では、熊本県46人、山口県43人、和歌山県37人、石川県32人、徳島県29人、福井県20人、福岡県13人となっている。

[編集] 募集・渡道

篠路屯田兵の募集は、明治22(1889)年5月に徴募官一行が和歌山県から入って、四国、九州へと巡回して行われた。この前後の4月から6月にかけて、各県の新聞が徴募の告知や志願状況、合格者発表などを細かに報じた。
篠路屯田兵220戸家族を合わせて1,056人の輸送には、英国製で共同運輸(現・日本郵船)から借り上げた貨客鉄船「相模丸」(1,885トン)が使用され、明治22(1889)年7月14日、小樽港に着岸した。手宮から琴似までは幌内鉄道の炭車に乗って移動し、篠路兵村までは徒歩で移動した。

[編集] 軍務と出征

[編集] 軍務


[編集] 日清戦争

明治28(1895)年3月、日清戦争に動員命令が下り出征、東京で待機中に講和が成立し6月に復員した。翌年4月から篠路屯田兵は後備役に編入された。

[編集] 日露戦争

明治37(1904)年8月、新琴似屯田兵81人が日露戦争に出征した。後備歩兵第28聯隊、第三軍に編入され、12月には二〇三高地での激戦に加わった。奉天会戦など転戦を続け、翌年11月19日復員した。戦死者は11人に上った。


[編集] 開墾と農業

[編集] 給与地



[編集] 作付


[編集] 潅漑・治水


[編集] 公有財産と自治活動

[編集] 公有財産


[編集] 自治とまちの変遷


[編集] 主な人物

[編集] 歴代の中隊長

屯田兵第一大隊第四中隊の中隊長は、次の2代にわたった。

  • 初 代 渥味直茂大尉  明治22年7月〜明治24年3月(山鼻屯田兵出身)
  • 第2代 平賀正三郎大尉  明治24年3月〜明治29年3月(後に第三大隊隊長、日露戦争で戦死)    


[編集] 屯田兵・中隊幹部


[編集] その他


[編集] 屯田兵名簿


[編集] 出来事・エピソード


[編集] 証言録


[編集] 伝統文化・芸能


[編集] 史跡・博物館


[編集] 史料・論文等

  • 『篠路兵村の礎』 (昭和19年)
  • 『屯田部落七十年史』 (昭和34年)
  • 『屯田九十年史』 (昭和53年)
  • 『屯田百年史』 (平成元年)


[編集] 子孫会・顕彰団体等


個人用ツール
名前空間

変種
操作
管理運営
案内
ツールボックス
屯田兵名簿データベース
屯田兵デジタル・アーカイブス