野村勇之助

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[編集] 出典元

『屯田』第41号(2007年) < 『野幌兵村史』(1934年・昭和9年)


[編集] 証言内容

  1. 私は明治十九年広島県から屯田兵の家族として移住して来たものである。移住してから軍務開墾の側ら、養蚕に従事したが、桑摘には相当難儀したものだ。其頃は熊などは可也居たもので、原始林に桑摘に出掛け、本に登って盛に採ってゐると、つい二十間許り前に熊の居るのを発見し、そっと木から降りて大急ぎで逃げ帰ったことがあった。又移住してから三四年後の頃と思ふが、兵屋にノソリノソリやっている大きな奴を見付けたので、早速家から軍銃を持ち出してさて打たうとしたが、熊の奴もそれと覚ったか、逃足早くも何處かへ姿を消してしまった後で大変残念な事をした。
  2. 又狐も沢山居たものである。兵屋の裏の五六軒位距った所に一疋の狐が出て来たので窓から軍銃で一発の下に打ちとった事もあった。今でも思ひ出して微苦笑を禁ずる事が出来ないのは、当時兵屋四軒の中間に井戸と共同風呂があって、それを交るがはるたてて入浴したものだが、自分が入ってゐる中に、ぬいで置いた履物を咥へて行かれたので、クソいまいましいと思いながらも、跣足で家に帰って来た事だ。こんな事を追憶して見ると、常時の有様がまるで夢の様な気がする。
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