「新琴似兵村」の版間の差分
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*明治29(1896)年 屯田兵司令部が廃止され新琴似屯田兵は第七師団の直轄となる | *明治29(1896)年 屯田兵司令部が廃止され新琴似屯田兵は第七師団の直轄となる | ||
*明治30(1897)年 新琴似農話会結成し洋式農業導入を図る、歌舞伎公演、大根を札幌に初出荷 | *明治30(1897)年 新琴似農話会結成し洋式農業導入を図る、歌舞伎公演、大根を札幌に初出荷 | ||
− | + | *明治32(1899)年 農会設立(7月30日) | |
− | * | + | *明治34(1901)年 新琴似巡査駐在所設置(5月) |
− | * | + | *明治35(1902)年 第一大隊が解散(4月)、村医住宅を建設 |
− | * | + | *明治36(1903)年 兵村が工事費を寄付し新琴似小学校を改築(11月20日)、害虫の大発生で農業被害 |
− | + | *明治37(1904)年 日露戦争に81人が出征(8月) | |
+ | *明治38(1905)年 日露戦争から復員(3月3日)、新琴似郵便局が開局(4月1日) | ||
+ | *明治39(1906)年 琴似村に二級町村制施行、琴似村議会選挙で国瀬源也兵村会長が当選(6月1日)、樽川通り(四番通り)の開削始まる | ||
+ | *明治41(1908)年 日露戦争の忠魂碑を建立(5月20日) | ||
+ | *明治42(1909)年 購販会を設立し陸軍糧秣廠にエン麦を納入 | ||
+ | *明治44(1911)年 新琴似兵村会を廃止し新たに新琴似屯田親交組合を結成(4月)、新琴似歌舞伎の若松館がこけら落とし(5月) | ||
+ | *明治45(1912)年 乳牛の飼育開始、中隊本部を琴似購買販売産業組合の事務所として使用(7月) | ||
+ | *大正 6(1917)年 新琴似屯田親交組合を解散し兵村部会を設立(3月15日) | ||
+ | *大正 9(1920)年 亜麻製線工場焼失(3月)、新琴似小学校を屯田兵練兵場跡に移転落成、新川の氾濫で水稲に被害 | ||
+ | *大正12(1923)年 琴似村に一級町村制施行(4月1日)、新琴似に電灯新設(9月17日)、干ばつと虫害で大根に被害 | ||
+ | *大正13(1924)年 新琴似短歌会発足(3月) | ||
+ | *大正14(1925)年 公有財産の寄付により新琴似神社が村社に昇格(6月30日) | ||
+ | *昭和 元(1926)年 部落財産などで兵村公会堂(旧中隊本部)を改修、安春川改修に住民が労力奉仕 | ||
+ | *昭和 4(1929)年 新琴似排水土功組合設立(3月) | ||
+ | *昭和 6(1931)年 新琴似兵村区の道路延長、安春川浚渫の費用を寄付(1月) | ||
+ | *昭和 9(1934)年 国鉄札沼線に新琴似駅開設(11月20日) | ||
+ | *昭和11(1936)年 開村50年祭、開村記念碑建立(5月20日) | ||
+ | *昭和16(1941)年 新琴似部落連合会発足 | ||
+ | *昭和17(1942)年 琴似村に町制施行 | ||
+ | *昭和19(1944)年 新琴似四番通りを軍用道路として拡張 | ||
+ | *昭和20(1945)年 農地法の施行により26町歩の神社用地が小作人所有となる | ||
+ | *昭和30(1955)年 琴似町が札幌市と合併 | ||
+ | *昭和47(1972)年 札幌市が新琴似屯田兵中隊本部を復元(3月) | ||
+ | *昭和49(1974)年 札幌市が新琴似屯田兵中隊本部を有形文化財に指定(4月20日) | ||
+ | *昭和61(1986)年 開基百年記念式を開催(5月) | ||
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== 参考 == | == 参考 == | ||
2013年7月5日 (金) 13:50時点における版
新琴似兵村は、現在の札幌市北区新琴似地区に開かれた屯田兵村で、明治20(1887)年と翌年の2か年に、中国、九州地区など8県から計22戸が入植した。
札幌では琴似兵村(第1中隊)、山鼻兵村(第2中隊)に続く3番目の兵村で、明治28(1895)年まで第一大隊第3中隊を編制し、その後は屯田兵制度が廃止される明治37(1904)年まで新琴似屯田兵は後備役を務めた。
入植当時は鬱蒼とした樹林地帯だったが、比較的良い土壌に恵まれたことから農業は順調に発展した。
大東亜戦争の終結後は、一大住宅街へと変容し、札幌市の有形文化財として保存された中隊本部や、農業排水溝として屯田兵によって掘削された安春川などに、兵村の名残をとどめている。
目次 |
年表
新琴似兵村史。
- 明治19(1886)年 兵屋146戸建築(8月)、琴似兵村に至る琴似新道(茨戸街道)と札幌に至る新琴似道路が完成
- 明治20(1887)年 屯田兵146戸が入植移住(5月20日)、第2陣向け兵屋74戸建築(10月)、市立小学校を開設(12月3日)
- 明治21(1888)年 岩内へ春季行軍(4月)、屯田兵第2陣74戸が入植移住(5月20日)、新琴似兵村会が発足(10月)
- 明治22(1889)年 室蘭地方で春季演習(4月)
- 明治23(1890)年 千歳村で春季演習(4月)、中隊本部襲撃事件が発生、6人を処分(10月*)、安春川開削始まる
- 明治24(1891)年 軽川地方で春季演習(3月)、予備役に編入(4月1日)、夜盗虫の大発生で農作物が全滅
- 明治25(1892)年 開拓記念碑を建立(5月20日)、稲作とエン麦の作付けを開始
- 明治26(1893)年 島松で春季演習(3月)、新琴似小学校が市立から公立となる(5月20日)
- 明治27(1894)年 新琴似屯田兵の残留が55戸約300人となる
- 明治28(1895)年 第一大隊を解散し新琴似屯田兵は後備役編入(4月1日)、日清戦争に出征、復員(6月)
- 明治29(1896)年 屯田兵司令部が廃止され新琴似屯田兵は第七師団の直轄となる
- 明治30(1897)年 新琴似農話会結成し洋式農業導入を図る、歌舞伎公演、大根を札幌に初出荷
- 明治32(1899)年 農会設立(7月30日)
- 明治34(1901)年 新琴似巡査駐在所設置(5月)
- 明治35(1902)年 第一大隊が解散(4月)、村医住宅を建設
- 明治36(1903)年 兵村が工事費を寄付し新琴似小学校を改築(11月20日)、害虫の大発生で農業被害
- 明治37(1904)年 日露戦争に81人が出征(8月)
- 明治38(1905)年 日露戦争から復員(3月3日)、新琴似郵便局が開局(4月1日)
- 明治39(1906)年 琴似村に二級町村制施行、琴似村議会選挙で国瀬源也兵村会長が当選(6月1日)、樽川通り(四番通り)の開削始まる
- 明治41(1908)年 日露戦争の忠魂碑を建立(5月20日)
- 明治42(1909)年 購販会を設立し陸軍糧秣廠にエン麦を納入
- 明治44(1911)年 新琴似兵村会を廃止し新たに新琴似屯田親交組合を結成(4月)、新琴似歌舞伎の若松館がこけら落とし(5月)
- 明治45(1912)年 乳牛の飼育開始、中隊本部を琴似購買販売産業組合の事務所として使用(7月)
- 大正 6(1917)年 新琴似屯田親交組合を解散し兵村部会を設立(3月15日)
- 大正 9(1920)年 亜麻製線工場焼失(3月)、新琴似小学校を屯田兵練兵場跡に移転落成、新川の氾濫で水稲に被害
- 大正12(1923)年 琴似村に一級町村制施行(4月1日)、新琴似に電灯新設(9月17日)、干ばつと虫害で大根に被害
- 大正13(1924)年 新琴似短歌会発足(3月)
- 大正14(1925)年 公有財産の寄付により新琴似神社が村社に昇格(6月30日)
- 昭和 元(1926)年 部落財産などで兵村公会堂(旧中隊本部)を改修、安春川改修に住民が労力奉仕
- 昭和 4(1929)年 新琴似排水土功組合設立(3月)
- 昭和 6(1931)年 新琴似兵村区の道路延長、安春川浚渫の費用を寄付(1月)
- 昭和 9(1934)年 国鉄札沼線に新琴似駅開設(11月20日)
- 昭和11(1936)年 開村50年祭、開村記念碑建立(5月20日)
- 昭和16(1941)年 新琴似部落連合会発足
- 昭和17(1942)年 琴似村に町制施行
- 昭和19(1944)年 新琴似四番通りを軍用道路として拡張
- 昭和20(1945)年 農地法の施行により26町歩の神社用地が小作人所有となる
- 昭和30(1955)年 琴似町が札幌市と合併
- 昭和47(1972)年 札幌市が新琴似屯田兵中隊本部を復元(3月)
- 昭和49(1974)年 札幌市が新琴似屯田兵中隊本部を有形文化財に指定(4月20日)
- 昭和61(1986)年 開基百年記念式を開催(5月)
参考
- 古地図の散歩道/八代ヨリ人吉ニ至道程細図 『屯田』第53号・江口憲人執筆
出身地と入植
軍務と出征
開墾と農業
公有財産
自治とまちの変遷
主な人物
屯田兵名簿
出来事・エピソード
証言録
伝統文化・芸能
史跡・博物館
史料・論文等
子孫会・顕彰団体等