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富田貞賢は、長野県出身の琴似屯田兵で、免官後の1年間、[[札幌農学校]]兵学科に学び、卒業後は[[屯田兵司令部]]の士官を務めた。明治23(1890)年8月18日に起きた[[新琴似中隊本部襲撃事件]]の直後に同中隊(第一大隊第三中隊)に見習士官として配属され、当時の回顧談が「札幌昔日譚」([[河野常雄]]編、明治31年『北海道毎日新聞』連載)に掲載された。この中で「事件の黒幕は[[出田平馬]]らで、処罰を免れた」と証言した。
 
富田貞賢は、長野県出身の琴似屯田兵で、免官後の1年間、[[札幌農学校]]兵学科に学び、卒業後は[[屯田兵司令部]]の士官を務めた。明治23(1890)年8月18日に起きた[[新琴似中隊本部襲撃事件]]の直後に同中隊(第一大隊第三中隊)に見習士官として配属され、当時の回顧談が「札幌昔日譚」([[河野常雄]]編、明治31年『北海道毎日新聞』連載)に掲載された。この中で「事件の黒幕は[[出田平馬]]らで、処罰を免れた」と証言した。

2015年7月16日 (木) 08:54時点における最新版

富田貞賢

富田貞賢は、長野県出身の琴似屯田兵で、免官後の1年間、札幌農学校兵学科に学び、卒業後は屯田兵司令部の士官を務めた。明治23(1890)年8月18日に起きた新琴似中隊本部襲撃事件の直後に同中隊(第一大隊第三中隊)に見習士官として配属され、当時の回顧談が「札幌昔日譚」(河野常雄編、明治31年『北海道毎日新聞』連載)に掲載された。この中で「事件の黒幕は出田平馬らで、処罰を免れた」と証言した。

[編集] 経歴

安政3(1856)年 松本藩士
明治 8 年 琴似屯田兵 
明治10 年 西南戦争 准陸軍軍曹として出征
明治22 年11 月1 日 当時曹長で免官のうえ札幌農学校兵学科別課生入学
明治23 年8 月22 日 兵学科卒業し見習士官となる
屯田歩兵第一大隊に配属、大尉まで昇進

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