「寺本末吉」の版間の差分
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#私は弟であり、土地も少ないので考えてみたが、屯田兵は土地も作り、北門の警備にもつくので、少し難しいと思ったが、私の隣家だった、九丁目に来た上山さんが「お前が行くなら俺も行く」ということになった。村長さんに話したら、いろいろと世話をしてくれて、徴募の結果合格して来ることになりました。<br> | #私は弟であり、土地も少ないので考えてみたが、屯田兵は土地も作り、北門の警備にもつくので、少し難しいと思ったが、私の隣家だった、九丁目に来た上山さんが「お前が行くなら俺も行く」ということになった。村長さんに話したら、いろいろと世話をしてくれて、徴募の結果合格して来ることになりました。<br> | ||
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2013年7月29日 (月) 17:29時点における最新版
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[編集] プロフィール
- 寺本 末吉(明治27年5月入地 福井県出身 兵屋番号729番)
[編集] 出典元
- 『江部乙町文化史』(1958年・昭和33年)< 昭和28(1953)年8月25日 江部乙町開町60年記念座談会の録音より抜粋
[編集] 要旨
- 村長が土地のある北海道の屯田兵を勧めてくれた。
- 北門の警備も兼ねるので難しいと思ったが、友人と二人で決断した
[編集] 証言内容
- 私の部落から村長が出ていて、ちょいちょい遊びに来て私に「土地が少ないから今募集している北海道の屯田兵になったらどうか」と新設に勧めてくれた。
- 私は弟であり、土地も少ないので考えてみたが、屯田兵は土地も作り、北門の警備にもつくので、少し難しいと思ったが、私の隣家だった、九丁目に来た上山さんが「お前が行くなら俺も行く」ということになった。村長さんに話したら、いろいろと世話をしてくれて、徴募の結果合格して来ることになりました。