「日ノ出丸」を編集中

移動: 案内検索

警告: ログインしていません。

編集すると、IPアドレスがこのページの編集履歴に記録されます。
この編集を取り消せます。 下記の差分を確認して、本当に取り消していいか検証してください。よろしければ変更を保存して取り消しを完了してください。
最新版 編集中の文章
1行: 1行:
明治時代の機帆船で、政府の[[御用船]]として[[屯田兵]]が入植する際に家族、貨物などの輸送に使われた。<br>
+
明治時代の機帆船で、政府の御用船として屯田兵が入植する際に家族、貨物などの輸送に使われた。<br>
 
明治30(1897)年に逓信省管船局が発行した『船名録』には、「日之出丸 1,136.6 トン、旧名ベロナ、製造英吉利(イギリス)・倫敦(ロンドン)」と記されている。<br>
 
明治30(1897)年に逓信省管船局が発行した『船名録』には、「日之出丸 1,136.6 トン、旧名ベロナ、製造英吉利(イギリス)・倫敦(ロンドン)」と記されている。<br>
  
写真は、浅野総一郎直筆の『絵日記』から(『屯田』第34号)
+
[[ファイル:hinodemaru.jpeg|right|200px|日ノ出丸]]
  
[[ファイル:hinodemaru.jpeg|right|250px|日ノ出丸]]
 
<br>
 
 
== 屯田兵の輸送 ==
 
== 屯田兵の輸送 ==
  
*明治20(1887)年、[[輪西屯田兵村]]、[[新琴似屯田兵村]]
+
*明治20(1887)年、輪西屯田兵村、新琴似屯田兵村
*明治27(1894)年、[[江部乙屯田兵村]]
+
*明治27(1894)年、江部乙屯田兵村
  
 
== エピソード ==
 
== エピソード ==
  
屯田兵の輸送船調達に当たっていた[[永山武四郎]]・屯田兵司令官は、日本郵船との価格交渉が不調に終わり、たまたまドックに入っていた「日之出丸」に目を付けた。永山は、郵船の浅野総一郎(浅野セメント=太平洋セメント=創業者)と直接交渉し、「日之出丸」の借り上げが決まった。「お国のため」と赤字覚悟で引き受けた浅野だったが、永山の配慮もあって結果的に日本郵船は、かなりの利益を得た。<br>
+
屯田兵の輸送船調達に当たっていた永山武四郎・屯田兵司令官は、日本郵船との価格交渉が不調に終わり、たまたまドックに入っていた「日之出丸」に目を付けた。永山は、郵船の浅野総一郎(浅野セメント=太平洋セメント=創業者)と直接交渉し、「日之出丸」の借り上げが決まった。「お国のため」と赤字覚悟で引き受けた浅野だったが、永山の配慮もあって結果的に日本郵船は、かなりの利益を得た。<br>
 
(出典:『創業者 浅野総一郎小伝』)
 
(出典:『創業者 浅野総一郎小伝』)

tondenwikiへのすべての投稿は、他の利用者によって編集、変更、除去される場合があります。 あなたの投稿を、他人が遠慮なく編集するのを望まない場合は、ここには投稿しないでください。
また、投稿するのは、あなたが書いたものか、パブリック ドメインまたはそれに類するフリーな資料からの複製であることを約束してください (詳細はTondenwiki:著作権を参照)。 著作権保護されている作品を、許諾なしに投稿してはいけません!

中止 | 編集の仕方 (新しいウィンドウで開きます)
個人用ツール
名前空間

変種
操作
管理運営
案内
ツールボックス
屯田兵名簿データベース
屯田兵デジタル・アーカイブス