「安東貞一郎」を編集中

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== 伝記 ==
 
== 伝記 ==
  
『[[新琴似兵村会記録]]』に「歴代の中隊長とその治蹟感」と題した人物評が記されている。以下は安東貞一郎に関する全文。
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『新琴似兵村会記録』に「歴代の中隊長とその治蹟感」と題した人物評が記されている。以下は安東貞一郎に関する全文。
  
 安東貞一郎氏は三代目の中隊長であったが、なんといっても歴代の中隊長の中では一番光っていた。産業に、土功に、道路に氏の力に負うもの枚挙にいとまない位だ。実に氏の如きは模範屯田中隊長として美唄の川中中隊長と併称せられる位であった。が、惜しむべきは明治三十(註:原文のまま)年の[[積穀事件]]では一寸味噌付けた感がないではないが、それはそれとしてともかく氏の功労は認すべからざるものがある。夙(つと)に道内に定評のある[[新琴似大根]]の今日あるは氏の指導奨励に待つところ大なるものあり。四番通より樽川に通ずる所謂樽川道路の如きも氏の手になるところであり、又、今日[[安春川]]の名残を残しているあたり永遠に氏の功績を物語るであろう。
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 安東貞一郎氏は三代目の中隊長であったが、なんといっても歴代の中隊長の中では一番光っていた。産業に、土功に、道路に氏の力に負うもの枚挙にいとまない位だ。実に氏の如きは模範屯田中隊長として美唄の川中中隊長と併称せられる位であった。が、惜しむべきは明治三十(註:原文のまま)年の積穀事件では一寸味噌付けた感がないではないが、それはそれとしてともかく氏の功労は認すべからざるものがある。夙(つと)に道内に定評のある新琴似大根の今日あるは氏の指導奨励に待つところ大なるものあり。四番通より樽川に通ずる所謂樽川道路の如きも氏の手になるところであり、又、今日安春川の名残を残しているあたり永遠に氏の功績を物語るであろう。
  
 
== 言葉 ==
 
== 言葉 ==

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