「兵屋」を編集中

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== エピソード ==
 
== エピソード ==
  
=== 永山兵村建設で民間業者がバンザイ ===
 
 
旭川のまちづくりの原点ともなった永山兵村の建設は、明治23(1890)年に始まった。第二中隊の兵屋200戸は樺戸と空知の集治監が受け持ち、第一中隊の200戸の建設は札幌の北海商会が請け負うことになった。ところが、長雨が続いたために建設用の木材や食糧の搬入が困難になってしまった。建設作業員は、神居の集治監出張所で作った馬鈴薯でなんとか食をつないだが、北海商会は資金難に陥り、100戸を集治監に、残り100戸を札幌の業者が代わって請け負うことになった。そんな事態を皮肉った戯れ歌が巷間に流れた。<br>
 
::北海商会 どうしようかい
 
::朝かい 昼かい 晩もかい (かいは粥を指す)
 
::ごしょ芋なんぞを 食うのかい
 
::それでも職人 稼ぐのかい
 
  
 
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