北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:琴似
開拓使時代の嚆矢を切って小樽へ上陸した屯田兵とその家族は、歩けない者だけ馬に乗り、その他は互いに助け合いつつ36キロに及ぶ急ごしらえの草分け道を歩き、巨木に覆われた原始林の真っ只中の兵村に入植した。
大小の刀を馴れぬ鍬や斧に持ちかえた屯田兵達は、望郷の念を振り払うかのように、永住の地にと必死の思いで開拓にあけくれた。
初めて西洋式軍隊の一員となる訓練に精励し、開拓の苦闘をくぐっただけに指導面でも優れ、その後各地に新設された兵村の指導者を数多く輩出し本道開拓のリーダーの役目をはたした琴似屯田兵。かつて鍬をふるった大地は今や約11万人、戸数約6万戸(概ね琴似・八軒・24軒・発寒・山の手地区の合計、平成24年10月1日現在)の札幌市西区の中心をなす地として大きく変貌した。
琴似兵村
1925/12/02
基本データ
入植年 明治8(1875)年
明治9(1876)年
入植地 札幌市西区琴似
同発寒
出身地 宮城県など20道府県
入植戸数 240戸
第1大隊
第2大隊
騎兵・砲兵・工兵隊
第3大隊
第4大隊
入植第1号 試行錯誤の実験場