北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:永山
鉄道の終点・空知太に降りたった入植者の身なりは様々で、囚人が開削したばかりの草分け道をぞろぞろと3日間も歩きつづけていく姿は奇妙でさえあった。平民屯田の道を開いた永山武四郎司令官の名を冠した兵村は、他と違い密林や泥炭地ではなくほとんどが草原地帯だった。
この自然の好条件は入植した年に多くの収穫を得るほどで、その上、中隊の幹部の多くが琴似、山鼻両兵村の屯田兵で、札幌農学校の兵学科特課を卒業した者だったから開拓、耕作は抜群の成果を上げた。
畑作が盛んで後に稲作も行われたが、戦後になって旭川市街に近く都市化の波で工場化、住宅化が進み、かつての農耕盛んな兵村の面影はほとんど残っていない。
写真は、永山神社での園遊会、屯田一世も多く含まれている(明治35年ころ)。
東永山兵村
西永山兵村
東永山兵村
西永山兵村
1909/12/03
基本データ
入植年 明治24(1891)年
入植地 旭川市永山町
出身地 東北、四国、九州の
15府県
入植戸数 400戸
第1大隊
第2大隊
騎兵・砲兵・工兵隊
第3大隊
第4大隊
土地に恵まれ、開拓は抜群の成果