北海道屯田倶楽部
屯田兵村の姿:当麻
豊饒な原野を開拓し将来は一大農産の地となるねらいを含んで上川盆地に永山、旭川そして当麻兵村が設置されただけに、屯田兵に合格した者のほとんどは農民であった。内地で自らの土地を持たず農業に従事するのは不可能に等しく、この好機を生かし、新天地に賭けようと決意して郷里を後にした者が多かったのであろう。
当麻兵村では入植した年から米が試作され、表向きは禁止されているもののかなりの成果を上げ、またたく間に兵村全域に広がっていった。こうした米作の拡大は後の灌漑溝掘削工事着手へとつながり、当麻町の原動力ともなっており、かつての兵村の姿はそのまま町の中心部と水田になっている。
写真は、製糸・製綿事業所の開所式での記念撮影(明治38年)。
東当麻兵村
西当麻兵村
東当麻兵村
西当麻兵村
1907/12/03
基本データ
入植年 明治26(1893)年
入植地 当麻町
出身地 中国、四国など
18県
入植戸数 400戸
第1大隊
第2大隊
騎兵・砲兵・工兵隊
第3大隊
第4大隊
新天地で米づくり 産業の基盤築く