屯田掲示板
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[157] Re:[151] 西和田兵村の稲光眞七郎の子孫です。 投稿者:大野良弘 投稿日:2023/01/18(Wed) 22:19  

 根室市には多くの場所にお墓がありますので、全部を当たることは無理があります。また、真七郎さんのお墓が根室市にあるとは限りません。真七郎さんの長男さんが永住していた市町村にお墓を建ててそこに真七郎さんも一緒という可能性の方が高いと思います。
 根室市で屯田兵の兵役をしていたのは数年間だけなので、その後の転居先も調べる必要があります。
 情報が少ないので、憶測でしか答えられませんが、ご参考までにお答えいたします。
 なお、福岡県宮若市に稲光という地名があり、稲光城という山城も存在していたようです。
 稲光さんはそこから北海道に来たのでしょうかね。
 新しい発見ができることをご祈念しております。
> 除籍を調べていましたら、僕の母方の先祖にあたる方が
> 福岡県より屯田兵として西和田に来ていることがわかり、
> このサイトに辿り着きました。
> 当時からある和田地区のお墓の住所等ご教示頂けないでしょうか。
> お墓参りなどさせて頂きたいです。
> よろしくお願い申し上げます。


[155] 輪西屯田兵、三谷惣次郎の子孫です。 投稿者:由美 投稿日:2022/12/01(Thu) 21:55  

現在は叔父が札幌市で三谷姓を継いでおります。
以前中嶋神社で屯田兵についての石碑をみました。
現在、祖母の家にあった日本刀(登録済み)を所有しているのですが、
この日本刀について詳しく知る家族がおらず、私の希望で手元にあります。
屯田兵は日本刀なども、所持していたのでしょうか?
まだ屯田兵について、詳しく調べられておらず無知でおはずかしいですが、
もしかしたら三谷惣次郎が持っていたものなのかな、とワクワクしております。

屯田兵の子孫の方などで、三谷惣次郎と交流があった等、何か情報があれば
嬉しいです。


[154] Re:[153] 会報第72号記事「新琴似中隊本部銃撃事件についての疑問」について 投稿者:江口憲人 投稿日:2022/11/22(Tue) 22:07  

>明治23年のレミントン銃を用いた暴行事件の裁判資料は初めて見ました。大変参考になり有り難うございます。第1大隊第3中隊の現役兵が「官給」のレミントン銃を使ったことが明確に述べられていますね。
 但し、この資料から第3中隊の制式配備小銃がレミントンであったと結論する自信はありません。
まずレミントン銃の購入が古いものであること(西南戦争のために開拓使が購入)。明治27年までに全ての屯田兵配備のレミントン銃を回収したこと(屯田兵の小銃配備は中隊単位であり、中隊が予備役を解除になった時点で回収)。明治10年代後半より民間の個人や企業にレミントン銃を放出していること。レミントン銃の管理が北海道庁と陸軍省の間でやりとりされていること。などがあり、「官給」の銃が必ずしも制式装備の銃とはいえないのではないかと思われるからです。
 引き続きご教示をいただけると幸いです                              江口



[153] 会報第72号記事「新琴似中隊本部銃撃事件についての疑問」について 投稿者:堀口 一寿 投稿日:2022/11/21(Mon) 15:33  

会報拝読しました。
特に使用した銃器について官給品か私物かについては、
確定できる根拠が、不足しています。
ただし、以下の史料から当時の新琴似兵村の官給品の銃器はレミントン銃と推察できます。

「月報 屯田兵司令部(2)」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C09060159800、明治27年 本省憲兵屯田 月報(防衛省防衛研究所)

これには、明治23年8月17日に発生した屯田兵第一大隊第三中隊所属の豫備役二等卒による発砲事件の裁判宣告が掲載されています。
被告人の氏名は、黒く塗りつぶされているため不詳ですが、被害者が「本田末吉」となっており屯田兵名簿データベースから屯田兵第一大隊第三中隊が「新琴似兵村」と分かります。

この裁判宣告の内容には、被告人は「當時所持シ居ル實弾ヲ官給レミントン銃ニ装填シ之ヲ提ケテ···」と記載されています。

今のところ、本史料以外で新琴似兵村の官給品の銃器が「レミントン銃」の記載は未確認ですので確定することはできないのですが···
また、私物の銃を使用した可能性も否定できません。

ただし、官給銃に実弾を装填していますが、なぜ所持できていたのかも不明です。

以上の他に本裁判宣告には、当日は大隊長兵屋検査の日と記載されています。また、その翌日には中隊本部銃撃事件が発生していますが、何か当時の新琴似兵村には独特な雰囲気があったのでしょうか?



[152] 琴似屯田子孫会事務局長の永峰さん 投稿者:工藤公督 投稿日:2022/10/16(Sun) 16:22  

今、TV(HBC)で琴似神社と屯田兵子孫の特集を見てるのですが、琴似屯田兵子孫会の永峰さんはもしかして昔は福井の小学校の先生だった方でしょうか。だとしたら私は先生の教え子です。小学校1年と2年を担任してもらいました。違ったらごめんなさい(笑) でもそう信じてお懐かしゅうと申し上げておきます。

福井野小学校卒業生 工藤公督(こうすけ)


[151] 西和田兵村の稲光眞七郎の子孫です。 投稿者:工藤正廣 投稿日:2022/09/11(Sun) 19:59  

除籍を調べていましたら、僕の母方の先祖にあたる方が
福岡県より屯田兵として西和田に来ていることがわかり、
このサイトに辿り着きました。
当時からある和田地区のお墓の住所等ご教示頂けないでしょうか。
お墓参りなどさせて頂きたいです。
よろしくお願い申し上げます。


[150] 天童から滝川に入植した堀口克己氏 投稿者:堀口敬 投稿日:2022/03/27(Sun) 13:07  

天童から滝川に入植した堀口克己の従弟の堀口賢一郎の孫の堀口敬(札幌)です。時間があったので滝川市役所から戸籍謄本を入手しながら系図を作っています。現在、堀口克己さんの長男の堀口逸雄さん以降が分かりません。同じ年代で北大卒業後農業試験場にいた堀口逸雄さんがいますが、同一人物か不明です。どなたかご存じの方がいたら教えてもらえると助かります。



[149] Re:[112] 先祖が東和田の屯田兵だったのですが 投稿者:大野良弘 投稿日:2022/02/01(Tue) 19:57  

福井県文書館資料業書12 福井藩士履歴4の中に福井藩士の滝姓の名前と役職履歴が掲載されております。
滝勘兵衛、滝郡右衛門、滝六蔵、滝仁左衛門、滝勘蔵の名前がありますのでご参考としてください。
また、加賀藩の史料によりますと、加賀藩士で滝姓は、明治3年で12件あります。戸籍調べで先祖の名前がわかりましたらお知らせください。加賀藩なら詳しい由緒書が金沢市で保管されています。

> 父の出身地である根室市東和田について調べているうちにこのサイトに来ました。
> 東和田村の屯田兵名簿を見ると、瀧榮太郎さんというお名前が見えますがこの方が私の先祖(曽祖父?)なのかぜひ知りたいのですが、何か方法はございませんでしょうか?
> 残念ながら父は故人となっており、手掛かりは私の記憶にある父の本籍地と、父・祖父の名前、それから一族で金沢のほうから引っ越してきた話だけです・・・


[148] Re:[114] うちも東和田屯田兵 投稿者:大野良弘 投稿日:2022/02/01(Tue) 14:06  

北海道屯田倶楽部の掲示板への下記の投稿を本日見ました。

私は、北海道常呂郡訓子府町に住む大野良弘<61歳>と申します。

私の先祖も東和田村屯田兵の大野綏定で、お宅と同じように前住所の記載がなく、母親と妻が石川県金沢区だけしかわかりませんでしたが、和田村誌と屯田兵名簿から石川県からきた士族であることがわかり、加賀藩の侍帳を調べている中で、4世祖が加賀藩に提出した大野家の由緒書が金沢市に保管されていることがわかり、11世祖までの名前、役職、檀家寺まで判明しました。

百瀬さんの調べたい東和田村屯田兵の名前、その父親の名前と母親の名前、その母親の父親の名前<武士の名前だと思います>

を教えていただければ、私の調べた方法と同じであれば、先祖を探すことができますので、是非ご相談してください。

> 初めまして。私の高祖父が東和田の屯田兵の弟になります。明治6年生まれなので家族として渡ったようです。戸籍を遡った所、父親の名前、母親の前戸籍(石川県金沢区)はわかりましたが、他の者の東和田以前の戸籍の記載がありませんでした。それ以前はどのように調べたらわかりますか?また東和田の資料などはどちらかに行けば残っていますか?ご教示をよろしくお願いいたします。


[147] Re:[146] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/11/07(Sat) 22:38  

辻一朗 様
こんばんは、はじめまして。返信が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
貴重な情報ありがとうございました。
誠に勝手ながらメールを送らせていただきましたのでご確認していただけますと幸いです。



> はじめまして。
> こちらで目にしたお名前に少し心当たりがあり、
> 書き込ませていただきます。
>
> 辻新平さんの奥さん(ミナさん?)の旧姓が本です。
> 本善吉さんはミナさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
> 馬継雅次郎さんの奥さん(マツさん?)の旧姓が妻沼です。
> 妻沼鷹治さんはマツさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
> 辻新平さんの長男(誠智さん)と馬継雅次郎さんの長女(ミトリさん)が結婚しています。
>
> 以上は、私が父(辻聡=誠智とミトリの長男で現在89歳です)から聞いたことです。
> こちらの趣旨から外れていましたら申し訳ありません。
> ご参考まで。
>


[146] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:辻一朗 投稿日:2020/10/31(Sat) 11:29  

はじめまして。
こちらで目にしたお名前に少し心当たりがあり、
書き込ませていただきます。

辻新平さんの奥さん(ミナさん?)の旧姓が本です。
本善吉さんはミナさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
馬継雅次郎さんの奥さん(マツさん?)の旧姓が妻沼です。
妻沼鷹治さんはマツさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
辻新平さんの長男(誠智さん)と馬継雅次郎さんの長女(ミトリさん)が結婚しています。

以上は、私が父(辻聡=誠智とミトリの長男で現在89歳です)から聞いたことです。
こちらの趣旨から外れていましたら申し訳ありません。
ご参考まで。



[145] Re:[144] 屯田兵制度の制度設計 投稿者:編集室 投稿日:2020/10/23(Fri) 09:10  

「稲田家がおこなっていた片扶持制度」と屯田兵制度との関連について、大変興味深いご指摘ありがとうございます。
特に、荒城重男は、屯田兵副官として諸制度の整備や兵村の配置計画などで重要な役割を担った人物で、稲田、静内での経験が彼の思考のベースになっていたように感じられます。
屯田入植に当たっては、そのモデル的なケースとして仙台伊達家の開拓が注目されていますが、開拓使は静内稲田家の事例にも着目していたと考えられます。
そのあたりについては、当サイト収録の下記論考をご参照ください。

https://tonden.org/report_files/51_kyorei.pdf

今後とも情報交換させていただければ、ありがたいです。


[144] 屯田兵制度の制度設計 投稿者:タカタトモユキ 投稿日:2020/10/23(Fri) 08:43  

はじめまして突然失礼します
私は兵庫県の淡路島で郷土史を趣味にしているものですが
屯田兵の制度は江戸時代淡路島で徳島藩筆頭家老の稲田家がおこなっていた片扶持制度におもえてなりません。『北の零年』や『お登勢』でご存知の方も多いかもしれませんが、徳島藩の家老であった稲田家の家臣団は明治4年に静内に開拓移住しました。そして学問所の校長であった荒城重男は開拓使に採用され屯田兵の副官となり永山武四郎の側近となりました。江戸時代の徳島藩は他の藩と違って地方知行制という家老に土地と人民を任す制度であったため稲田家は開拓した土地を免税にしたりして少ない給与でも自活できるような制度をとり1400石で3000人の家臣がいました。荒城の実家の堀江家は稲田家の家事取り締まりの家で稲田家の会計を担っていました。そのため開拓や軍事にあたってはどれだけの費用が必要だとか計算できました。自身の静内での開拓の困難さを体験していますし尊王攘夷思想でロシアの侵略から国を守ろうという意識も強く実務能力もあり屯田兵制度の設計にあたっては淡路島で稲田家がとっていた武士としての身分を与え普段は農業や商業で自活して開拓にあたらせ、軍事教練など働いた時だけ片扶持として給与するという制度がとりいれられているようにおもえます。



[143] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/12(Mon) 20:31  

 東和田屯田兵であった私の先祖が西暦1550年頃から1900年頃

までの350年間、石川県金沢の加賀藩武士であったことがわか

りましたので、明後日に金沢を訪問し、檀家寺や野田山墓地、

近世史料館、県立図書館、加賀本多博物館、金沢能楽美術館

で先祖に関わる史料を探してきます。

 現地に行って新たに分かったことなどがありましたら、お

知らせします。



[142] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/08(Thu) 23:16  

◆ 妻沼さんの子孫に関係があるかもしれない情報です。

 北見市の北光社に昭和21年に入植した人で妻沼忠一という方がいます。
 北見市南丘に住んでいました。住宅位置もある程度わかります。
 昭和36年に根釧パイロットファームに転出し、同地で永年組合長を勤
める。という記録がありました。(「北光社開拓九十年のあゆみ」北光開基
九十年記念事業協賛会P183より)
 
 根釧地域の酪農をめぐる動向  専任研究員 平田郁人 資料から
 1956〜64年 根釧パイロットファーム事業により,約5千haを 開墾,
約360戸が別海町に入植。
 
「根釧パイロットファーム開拓史」という図書があります。
根釧パイロットファーム開拓農業協同組合 組合長理事 妻沼忠一氏

 この妻沼忠一さんの子孫の方がわかれば、中野付牛に屯田兵で入植した
妻沼鷹治さんとの関係がわかると思います。別海町農協に相談してはいか
がでしょうか。


◆ 本さんの子孫に関係があるかもしれない情報です。

 私の同僚で、北見市でハイヤー運転手を長年勤めた人から、本さんの
子孫であるかも知れないという情報がありました。
 十数年程前まで北見日赤病院近くのアパートに親子で住んでいた本(もと)
さん親子の知人で、本さんの母親が先祖は屯田兵だったという話をしていた
ということを覚えていました。
 本さんは北見市から転出してしまったようで、転出後は連絡取れていない
とのことです。当時、息子さんが勤めていた会社もわかります。
 興信所に相談したら本さんの氏名や行方を調査できるかも知れません。
 北見市で本さんが通った学校の同級生や先生との繋がりがあるかも知れま
せん。
 
 

> > そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?
>
> 北海道屯田倶楽部発行の『屯田兵名簿』では、以下の様に記述されています。
>
> 妻沼鷹治 山形県東村山郡明治村
> 本善吉  石川県能美郡里川村鶉川
> 辻新平  石川家能美郡長谷村
> 馬継雅次郎 和歌山県東牟婁郡色川村
>
>
>


[141] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/06(Tue) 14:59  

北見市図書館において、辻さんと本さんの屯田兵時代の様子が
書かれた図書を見つけました。また、辻さんの白黒写真も掲載
されています。
詳しくはメールでお知らせします。




> 大野様
> 返信ありがとうございます。ご連絡が遅くなり大変申し訳ありません。
> 昨夜、大野様にメールを送らせていただきましたのでご確認いただけますと幸いです。
>
> > > 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
> >  私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> > > もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
> >  10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
> > >
> > >


[140] 西和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 16:02  

 明治21年7月に鳥取県から和田村(現在の根室市)の西屯田兵村に入植した松本彦五郎は、私の母方高祖父になりますが、出身市町村がわからない中でも鳥取県立博物館の学芸員にご相談しましたところ、彦五郎の父(松本喜平)と母(荒川フミ、三右衛門の長女)の情報から鳥取藩士で同性同名の方がいました。
 鳥取県立博物館では藩士家譜や家老日記をデジタルデータ化しており、そのデータを購入することもできます。
 それにより、松本家の家譜で13世祖、荒川家の家譜で11世祖の氏名と家老日記からどんな役職についていたかがわかりました。
 家譜に書かれている文字は筆字行書の漢字だけの情報なので、解読できない部分もあります。
 なお、松本彦五郎は安政6年生まれですが、家譜を提出した明治3年時点で戸主になっていませんので、彦五郎の父である喜平の名前がわからなければ、藩士名と一致しないことから、明治3年以前の戸主の名前が判明することがポイントになりそうです。
 また、荒川フミの父は三右衛門ですが、明治2年に提出された家譜の提出者はフミの兄弟であると思われる貞清でした。学芸員の方が貞清の父親が三右衛門だということを家譜で調べてくれたので、フミとの関係が判明し先祖であることが判明しました。
 さらに、除籍謄本の間違いも発見できました。戸主名欄は松本喜平でしたが、続柄欄は喜市になっていたからです。届出の時に戸籍係が間違って記入していたことも判明しました。
 鳥取藩士であると思われる方は、是非、鳥取県立博物館の学芸員にご相談されることをお勧めします。


[139] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 13:20  

 加賀藩士人別帳(幕末由緒書目録)から

 同性同名の加賀藩士の情報です。その他の情報はメールします。
 
 辻 新平
 西暦1808年文化5年 生まれ
 明治3年62歳 明治30年89歳


[138] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 12:47  

 加賀藩士人別帳(幕末由緒書目録)に辻 新平さんと同性同名の
藩士の情報がありましたので、情報をご確認願います。
 


[137] Re:[132] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/10/05(Mon) 11:22  

山下様
返信が遅くなり大変申し訳ございません。
貴重な情報ありがとう存じます。
大学にてOPACで検索したところ当大学で蔵書しているようなので確認してみたいと思います。


> > 投稿失礼いたします。
> 野付牛屯田兵は明治30年6月と明治31年の9月の2回に分けて入植しています。
>    お調べの本 善吉と辻 新平、馬継 雅次郎は明治30年6月に、妻沼 鷹治は明治31年9月に入植しています。
>    更に、本と辻は同じ1区、馬継と妻沼は3区ですのでそれぞれが近所であったことが分かります。
>    また、入植した198名のうち山形県出身は23名、石川出身は29名、和歌山出身は6名になります。
>    馬継と中田房次郎は同じ色川村の出身です。これは『屯田兵名簿』によります。
>    資料を探しているという事ですが、『新北見市史』から調べてみてはいかがでしょうか。
>    最近刊行された資料になります。北見市には坂本龍馬の甥にあたる坂本直寛も開拓に関わっています。
>    4人の関係だけでなく新たな発見があるかも知れません。


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