「鈴木勝二」を編集中

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== 証言内容 ==
 
== 証言内容 ==
  
#私は十二歳の時鹿児島縣より移住したものであるが、同志と一緒に[[和歌の浦丸]]に乗船したが、方々に立ち寄って[[屯田兵]]移住者を乗せた為手間どって出帆後十日目に[[小樽]]に着いた。着いて非常に珍しく感じたのは[[陸蒸気]](汽車)であった。<br>
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 私は十二歳の時鹿児島縣より移住したものであるが、同志と一緒に[[和歌の浦丸]]に乗船したが、方々に立ち寄って[[屯田兵]]移住者を乗せた為手間どって出帆後十日目に[[小樽]]に着いた。着いて非常に珍しく感じたのは[[陸蒸気]](汽車)であった。<br>
#小樽で[[兵屋番号]]の[[抽籤]]をして、自分等は宿舎の都合上札幌まで来て宿泊した。當時の[[汽車]]は牽引力が足らなかったので、二列車位で輸送したものであったろう。翌日江別町に着いたが、駅は現在よりももっと上手にあって小さい停車場であった。停車場には先に移住した十二戸や十三戸の屯田兵の幹部が出迎えて呉れた。案内されて愈々自分の住むべき兵屋に行ったが、道路から二十五間奥の家が見えぬ位で、玄関前から幾抱の大木で、それに葡萄、こくわなどの蔓が一ぱいからまってゐた。余りに様子が変ってゐるので姉などは大馨で泣出したのも無理からぬ事であった。<br>
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 小樽で[[兵屋番号]]の[[抽籤]]をして、自分等は宿舎の都合上札幌まで来て宿泊した。當時の[[汽車]]は牽引力が足らなかったので、二列車位で輸送したものであったろう。翌日江別町に着いたが、駅は現在よりももっと上手にあって小さい停車場であった。停車場には先に移住した十二戸や十三戸の屯田兵の幹部が出迎えて呉れた。案内されて愈々自分の住むべき兵屋に行ったが、道路から二十五間奥の家が見えぬ位で、玄関前から幾抱の大木で、それに葡萄、こくわなどの蔓が一ぱいからまってゐた。余りに様子が変ってゐるので姉などは大馨で泣出したのも無理からぬ事であった。<br>
#落付いてから一週間は炊出しがあった。それも桶の様なお鉢をかかへて二番丁太田様の二軒先まで受取りに行くので、今でこそ何でもないが、日に三度宛とりに行くのは中々辛い事であった。其晩は着の身着のままのゴロ寝をし、翌日[[給輿品]]を受取った。鍋などは金気が出て直ぐ使用が出来ない。米は最初の一ト月は白米で貰ったが、其後は玄米で下ったので、皆手搗をやった。最初の仕事は道路を作ることであった。當時の戸主は十七、十八歳位の青年が多かったが、終日[[教練]]をやりそれが終ってから道路をつくる。だから身軆が綿のように疲労しきって、便所に行って屈むことさへ出来ぬ有様だった。<br>
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 落付いてから一週間は炊出しがあった。それも桶の様なお鉢をかかへて二番丁太田様の二軒先まで受取りに行くので、今でこそ何でもないが、日に三度宛とりに行くのは中々辛い事であった。其晩は着の身着のままのゴロ寝をし、翌日[[給輿品]]を受取った。鍋などは金気が出て直ぐ使用が出来ない。米は最初の一ト月は白米で貰ったが、其後は玄米で下ったので、皆手搗をやった。最初の仕事は道路を作ることであった。當時の戸主は十七、十八歳位の青年が多かったが、終日[[教練]]をやりそれが終ってから道路をつくる。だから身軆が綿のように疲労しきって、便所に行って屈むことさへ出来ぬ有様だった。<br>
#一番心掛けたのは薪であった。梁の中までも積み上げた。寒さも非常に強かったもので、[[共同風呂]]から帰ってくる途中、さげた手拭が棒になったり、髪の毛が針の様に突立ったりした。<br>
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 一番心掛けたのは薪であった。梁の中までも積み上げた。寒さも非常に強かったもので、[[共同風呂]]から帰ってくる途中、さげた手拭が棒になったり、髪の毛が針の様に突立ったりした。<br>
#軍務も中々厳格で午前四時[[起床ラッパ]]の合図で飛び起き六時就業、其間に[[点呼]]が有るが、[[分隊長]]は兵員のみならず家族までも点検し、一々その動静を[[中隊長]]に報告した。一週に一回は[[兵屋]]の検査が有った。これは[[小隊長]]が行ふので、家族は[[戸主]]を先頭にして家の前に並び、[[武器]]は青毛布、[[農具]]は莚の上に並べ置き、布團家具什器の果まで整頓して[[検閲]]を受けた。一ヵ月に一回中隊長の検閲が有った。<br>
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 軍務も中々厳格で午前四時[[起床ラッパ]]の合図で飛び起き六時就業、其間に[[点呼]]が有るが、[[分隊長]]は兵員のみならず家族までも点検し、一々その動静を[[中隊長]]に報告した。一週に一回は[[兵屋]]の検査が有った。これは[[小隊長]]が行ふので、家族は[[戸主]]を先頭にして家の前に並び、[[武器]]は青毛布、[[農具]]は莚の上に並べ置き、布團家具什器の果まで整頓して[[検閲]]を受けた。一ヵ月に一回中隊長の検閲が有った。<br>
#中隊長は兵員の稼檣といふ事に就いては随分と頭を悩ましたもので、[[養蚕]]家畜飼養果樹栽培等は言はずもがな、或時は中隊長自ら請負って、鐵道用枕木を切らせたり、線路布設の工夫に従事させたりしたのであった。<br>
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 中隊長は兵員の稼檣といふ事に就いては随分と頭を悩ましたもので、[[養蚕]]家畜飼養果樹栽培等は言はずもがな、或時は中隊長自ら請負って、鐵道用枕木を切らせたり、線路布設の工夫に従事させたりしたのであった。<br>
#斯様に教練作業と相當に辛かったのと、一方[[生活難]]に脅かされるので、中には仮病をつかって[[兵役]]の免除を圖ったり、甚へ兼ねて[[逃亡]]したりするものも出来た。従ってその後釜に据へられるものがだんだんと出来て来たが、自分もその一人だ。
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 斯様に教練作業と相當に辛かったのと、一方[[生活難]]に脅かされるので、中には仮病をつかって[[兵役]]の免除を圖ったり、甚へ兼ねて[[逃亡]]したりするものも出来た。従ってその後釜に据へられるものがだんだんと出来て来たが、自分もその一人だ。
  
 
[[Category:証言|すずき]]
 
[[Category:証言|すずき]]

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