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2013年11月14日 (木) 09:39時点における最新版

目次

[編集] プロフィール

矢島 金左衞門(明治32年7月入地 岐阜県出身 兵屋番号72番)


[編集] 出典元

『士別市史』(1969年・昭和44年)
昭和26年6月に開かれた「開拓当時をしのぶ」座談会の発言から抜粋。

[編集] 要旨

  1. 大きなドロの木があった
  2. 入地後すぐに菜っ葉、ソバ蒔いたが不作だった
  3. 道路を作った。買い物は番外地


[編集] 証言内容

  1. 私の家に大きなドロの木が立ってましたが、倒して家を壊しては大変と残しておいたところ、ある日風が吹いて倒れてしまいました。ちょうど弟が遊んでいたところへ倒れたのですが、幸いなことに弟が来の間にピョコンと立っていて、胸をなでおろしました。
  2. 私は7月12日に来たので、菜っ葉とかソバをまきましたが、あまり取れませんでした。次の年は、ごしょ芋とかイナキビを増えました。兄弟や女衆が踏ん張ってくれました。兄弟が8人も来たのですが、(歳の)小さいのばかりがね。
  3. 上士別16線道路や温根別道路は、わしらがつくったんですよ。今の神社の辺りは(クマが出没して)おっかなかったですよ。買い物は番外地でしました。剣淵にもだいぶ店がありましたよ。


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