「琴似屯田兵村兵屋跡」を編集中

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[[ファイル:Heiokuato0 syomen.JPG|x280px|right|兵屋跡]]
 
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琴似屯田兵村兵屋跡は、札幌市西区琴似2条5丁目に所在する[[国指定史跡]]で、1982(昭和57)年5月7日に指定された。
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琴似屯田兵村兵屋跡は、札幌市西区琴似2条5丁目に所在する国指定史跡で、1982(昭和57)年5月7日に指定された。
兵屋は、1875(明治8)年に宮城県亘理郡小堤村から入植した[[清野専次郎]]の住宅(兵屋番号133番)を復元したもので、裏手の畑とともにほぼ最初の建設当時の姿を伝えている。
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兵屋は、1875(明治8)年に宮城県亘理郡小堤村から入植した清野専次郎の住宅(兵屋番号133番)を復元したもので、裏手の畑とともにほぼ最初の建設当時の姿を伝えている。
 
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== みどころ ==
 
== みどころ ==
  
多くの兵村の畳の間が6畳+4畳半であるのに比べて、8畳+4畳半となっており、その分土間が狭くなっている(当初は6畳+4畳半とする説もある)。土間との畳の間の間の板の間の片隅に設けられた座って作業をする「[[座流し]]」も他にほとんど例がない。一部が土壁となっている点、[[小屋組]]が洋式のキングポスト・トラス式となっている点なども、最初期の琴似兵屋の特徴でもある。
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多くの兵村の畳の間が6畳+4畳半であるのに比べて、8畳+4畳半となっており、その分土間が狭くなっている(当初は6畳+4畳半とする説もある)。土間との畳の間の間の板の間の片隅に設けられた座って作業をする「座流し」も他にほとんど例がない。一部が土壁となっている点、小屋組が洋式のキングポスト・トラス式となっている点なども、最初期の琴似兵屋の特徴でもある。
 
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