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:川村 儀蔵(明治27年5月入地 宮城県出身 兵屋番号797番)
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== 出典元 ==
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:『江部乙町文化史』(1958年・昭和33年)< 昭和28(1953)年8月25日 江部乙町開町60年記念座談会の録音より抜粋
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== 要旨 ==
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#16歳親任せで、役場の勧誘で志願した。
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#役場の人らが見送ってくれた。老人や子どもは馬車で迎えられた。
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== 証言内容 ==
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#私は当時16歳ですべて親任せでした。宮城県からは志願者は多くなかったが、役場の勧誘によって屯田兵を志願した。<br>
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#出発の時は汽車に乗るまで8里もあるが、村中の人はもちろん、役場からも二人が見送りに来てくれ、途中の盛岡で一泊、青森に来たが、ここまで郡役所からも送ってきた。青森で二、三泊して小樽に着き、空知太までは箱台車に乗せられて来た。昼食等は旅屋から出て、待遇は良かった。空知太からは老人や子どもは馬車で迎えられ、私たちは元気良く夕方早く兵屋に入った。<br>
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[[Category:証言|かわむら]]

2023年5月21日 (日) 12:31時点における最新版

目次

[編集] プロフィール

川村 儀蔵(明治27年5月入地 宮城県出身 兵屋番号797番)


[編集] 出典元

『江部乙町文化史』(1958年・昭和33年)< 昭和28(1953)年8月25日 江部乙町開町60年記念座談会の録音より抜粋

[編集] 要旨

  1. 16歳親任せで、役場の勧誘で志願した。
  2. 役場の人らが見送ってくれた。老人や子どもは馬車で迎えられた。

[編集] 証言内容

  1. 私は当時16歳ですべて親任せでした。宮城県からは志願者は多くなかったが、役場の勧誘によって屯田兵を志願した。
  2. 出発の時は汽車に乗るまで8里もあるが、村中の人はもちろん、役場からも二人が見送りに来てくれ、途中の盛岡で一泊、青森に来たが、ここまで郡役所からも送ってきた。青森で二、三泊して小樽に着き、空知太までは箱台車に乗せられて来た。昼食等は旅屋から出て、待遇は良かった。空知太からは老人や子どもは馬車で迎えられ、私たちは元気良く夕方早く兵屋に入った。
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