「屯田兵制度」を編集中
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この注意書は琴似兵村のものだが、37兵村すべてが同じような状態におかれたと推察される。各兵村の入植年度はそれぞれ異なるが、[[扶助期間]]の3ケ年の状態はほとんど同様なものと考えられる。毎年4月から11月の間は朝4時、ラッパの響きで一斉に起床することになっていた。そのため主婦は30分位も前に起床して朝・昼の食事を準備しなければならず、小さな子供たちがいればなおさらのことだった。<br> | この注意書は琴似兵村のものだが、37兵村すべてが同じような状態におかれたと推察される。各兵村の入植年度はそれぞれ異なるが、[[扶助期間]]の3ケ年の状態はほとんど同様なものと考えられる。毎年4月から11月の間は朝4時、ラッパの響きで一斉に起床することになっていた。そのため主婦は30分位も前に起床して朝・昼の食事を準備しなければならず、小さな子供たちがいればなおさらのことだった。<br> | ||
− | [[週番士官]] | + | [[週番士官]]は朝5時に点呼を取りに必ずやって来て、都合で士官が来れない時には週番下士が来ることもあった。いずれにしても、中隊を構成している兵村では自分の兵屋前で全員が整列することになっていた。点呼の際、屯田兵が家族全員の状態を報告し、週番士官の任務の一つは屯田兵及びその家族の身体を見ることだった。病気で欠席する者がいたときには、病気の状態を聞いて医官に報告することになっていた。<br> |
朝6時にラッパの音を合図に全員が事業を開始した。屯田兵は[[中隊本部]]前に集合し、家族はそれぞれの開拓現場へ行き、そこでは下士が待っていた。昼12時まで一切休むことはできず、昼食1時間を挟んで、午後1時から6時まで仕事は続けて行なわれた。<br> | 朝6時にラッパの音を合図に全員が事業を開始した。屯田兵は[[中隊本部]]前に集合し、家族はそれぞれの開拓現場へ行き、そこでは下士が待っていた。昼12時まで一切休むことはできず、昼食1時間を挟んで、午後1時から6時まで仕事は続けて行なわれた。<br> |