「屯田兵制度」を編集中
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=== 道内に点在した兵村 === | === 道内に点在した兵村 === | ||
[[ファイル:Heison map2.jpg|x450px|right|屯田兵村の配置図]] | [[ファイル:Heison map2.jpg|x450px|right|屯田兵村の配置図]] | ||
− | + | 屯田兵村は、道南地区を除いて全道に点在した。<br> | |
①札幌地区 4ケ中隊 主の目的 治安<br> | ①札幌地区 4ケ中隊 主の目的 治安<br> | ||
232行: | 232行: | ||
⑤美唄地区 3特科隊<br> | ⑤美唄地区 3特科隊<br> | ||
− | + | この地区に入植した屯田兵は騎兵・砲兵・工兵の特科隊で、騎兵160戸、砲兵120戸、工兵120戸となり、他の歩兵隊とは違った兵村を形成した。他の各兵村が完了に4ケ年もかかったのに対し、この地区は石狩川の中流地帯にあって地味が沃肥で最も農業に適地だった。<br> | |
⑥雨竜地区 5ケ中隊 開拓事業<br> | ⑥雨竜地区 5ケ中隊 開拓事業<br> | ||
238行: | 238行: | ||
⑦旭川地区 6ケ中隊 主に開拓<br> | ⑦旭川地区 6ケ中隊 主に開拓<br> | ||
− | + | この地区は旭川第七師団が設置される5年前に入植した永山兵村をはじめ4ケ中隊は3ケ年で完了した。石狩川上流地帯で中流と同じく沃肥な地味で農業適地だったため、農業が主体で現在に及んでいる。屯田兵村の典型的な農業経営が行なわれた地区でもある。<br> | |
⑧常呂・湧別地区 5ケ中隊<br> | ⑧常呂・湧別地区 5ケ中隊<br> | ||
− | + | この地区の入植は1897〜98(明治30〜31)年で、屯田兵制度最後の時期に当たる。国防を意識的に考慮して屯田兵村が設置された。オホーツク海からの敵の上陸の可能性があったためで、網走港から上陸した場合、現在の北見市との距離を計算していたとみられる。また、湧別も、オホーツク海からの上陸拠点として重要な地区と考えられた。農業に適した農作物を開発するまでは、農業経営に苦しんだ。現在はタマネギ栽培の産地として栄えている。<br> | |
⑨天塩川地区 3ケ中隊<br> | ⑨天塩川地区 3ケ中隊<br> |