乾咲次郎

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目次

プロフィール

乾 咲次郎(明治24年7月入地 兵庫県出身 兵屋番号56番・家族)


出典元

『当麻町史』(1975年・昭和50年)<『永山町史』

要旨

入地時の食事の様子について

証言内容

六月十七日午前十一時、最も早い入地者である。間もなく第一事業場へ給与品を受取りに来いとの達しに、父と二人で行き給与軍曹渡される。洗桶、茶碗、鍋大中小、鎌、砥石、鋸、鍬、唐鍬。すぐ西小学校へ昼食取りに行く。校庭では玄米を手でついている者、炊く者、分配する者、受取る者まるで火事場か戦場のようなありさま、洗い桶に四人分と副食物に蕗と蕨の煮つけもらう。昼食後幅二間の門道路と側溝ほる、タ食は母と妹がとりにゆく、人夫がかけ布団四枚、しき三枚もって来た。灯火がないから明るい中に夕食して寝る。

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