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目次 |
[編集] プロフィール
- 菊地 兵三郎(明治32年7月入地 岩手県出身 兵屋番号94番)
[編集] 出典元
- 『士別市史』(1969年・昭和44年)
- 昭和26年6月に開かれた「開拓当時をしのぶ」座談会の発言から抜粋。
[編集] 要旨
- 体格が小さかったが、周囲の薦めで志願した
- ひどい所に来たと思ったが、兵隊になりたくて来たんだと自戒した
- 停車場だけは建っていた。大きな排水溝を作った
[編集] 証言内容
- 私はご覧の通りの体格で、なんぼ志願しても不合格にばかりなって、なんとかして兵隊になってみたいと思っていましたが、普通の兵隊にはなれないとあきらめて、奉公に行ってました。ところが、親戚の者が北海道の屯田兵に志願したら、体格が少々悪くともとられるから志願してみろというのです。いや俺はなんぼ志願してもだめだ、12貫くらいの体では無理だからやめるというと、そうでないから受けてみろ、と言われました。それでは受けてみようと思って村に帰って役場で聞いてみると、もう期限がなくてだめだというのです。郡役所へ行ったら何とかなるというので、郡役所へ行ったところ、やっと頼んでとられて来たんです。北海道はどんなところかなんて、考えは全然なかったですね。
- 私らは7月12日に来ましたが、来て二三日たってこの練兵場でソバ蒔きをさせられたな。まだ歳もとらないこんな体の者がみんなしてソバ蒔きをやったんです。どうもひどい所へ来たもんだ。何が好きで来たんだろうと後悔しましたが、兵隊になりたくて来たんだから、自分を戒めてやりました。
- 停留場だけは建っていて、あの辺りの草刈りをやらせられましたが、ブドウの蔓が木の枝に絡みついて、どこから手を付けていいやら分からないくらいでした。それから停車場通りの排水掘りもやらされましたが、ヒザまで水に浸かって大変でした。あの辺りは水が多くて、乾かないから、大きな排水を掘って剣淵川へ流したんです。