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[編集] プロフィール
棚井 清太郎 (明治23年7月北滝川兵村入地 山形県出身 兵屋番号226番)
[編集] 出典元
『滝川市史』(1962年・昭和37年)
[編集] 要旨
- 開墾は一日三十坪がやっとだった
- 小家族は良い追給地をもらえず困った
[編集] 証言内容
- 開墾のため鋸二挺、斧一丁、唐鍬二挺、鉈一挺を支給されました。笹を刈り、木を伐り笹原を耕しました。腕の強い者は大きい鍬。弱い者は小さい方で耕しましたが、一日かかって三十坪がやっとでした。
- 五千坪を拓いた者には追給地をやるから、どこでも希望の所を申し出でよ、と言われました。家族の手のそろう者は良い所をもらい、手のそろわない者は遅れがちとなり良い所をもらえない。このため宅地、第一追給地、第二追給地と三個所が離れていて今なお不便で困っています。
[編集] 参考