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[編集] プロフィール =
- 早川 宇之助 (西秩父 明治29年5月入地 三重県出身 兵屋番号132番)
[編集] 出典元
『秩父別町史』(1964年・昭和39年)
[編集] 要旨
- 周囲の反対で一度は志願を取り消し
- 必死で稽古した銃剣術
[編集] 証言内容
- 「北海道へゆく」ということは今日の渡満どころのものじゃない。二十八年に私が志願すると、親戚や近所の者が、「北海道なぞアイヌと熊の棲む所だ」「無期懲役人しかゆかぬ所だ」など、種々なことを言う。そこで年寄りの心が動きだすというわけで検査の三日前に村長さんに頼んで志願を取消したという次第。しかし自分はどうしても屯田兵となって行きたい、二十八年に移住した人々の手紙を見ると矢も楯もたまらぬ。年寄りにも相談し「今度はやめませんから」と村長さんに頼むと、「よしよし」と言って手続きしてくれましたが、よい村長さんでした。
- 現役時代未だ忘れられんのは銃剣術の稽古だった。何しろ年は若くそれに体格も小さい自分ゆえ、立ち向えば突かれるばかりだしいつも顔なぞ腫れ上っていました。なるだけ蔭にかくれて逃げるようにしていると、それをまた将校が常に目をつけていて余計やらせる、実に閉口したが仕方がない。ある時教官が転地療養で留守のこと、「どうせ逃げることが出来ないならせめて三本に一本は突いてやりたい」と弱い者同志誘いあって時間外に稽古した、後日将校が帰って来られ銃剣術の仕合があった時「お前はえらう旨くなったのう。併し無荼苫荼だなあ」と言われた時はとに角嬉しかった。その後大隊本部で各中隊の選士が出て大会があった時、選ばれて出場、どうにか等に入ってキセルを一本賞品にもらったが実に嬉しかった。