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目次 |
[編集] プロフィール
- 吉田 保次郎(明治26年5月入地 鳥取県出身 兵屋番号62番)
[編集] 出典元
- 『当麻町史』(1975年・昭和50年)
[編集] 要旨
- 望郷の念にからっる家族もいたが、幹部らは土着の精神を喚起した
- 16県の集合のため不都合もあったが徐々に新しい風習も生じた
[編集] 証言内容
- 一般の情感可良なり然れども我が愛する墳墓の地を辞し久誼ある親族、朋友に訣し千里海山を隔てたる異郷に来たりたるを以て転た故山を懐ふの情に堪えざるは是れ人情の然らしむる処、加ふるに行路の疲労と大樹熊笹欝叢して東西を弁知せざる榛莽の土地に移着せるを以て心情の寂寞たると各自将来生計上の考慮等交々胸中し唯悄然として寝食共に楽まざるものの如く殊に老耄者の如きは一層懐旧の情を起し余生の幾何ならざるを嘆じ往々炉辺に呻吟するものありしも幹部は以上の事情を推し諸事懇切を旨とし兵員家族各自に適当の勧話を為し統率したるを以て追日新郷に土着するの精神を喚起せり。
- 又兵村和合に就いては移住以来幹部の熱誠尽力せるを以て自今大に良果を得たりと雖も内地一六県よりの集合団体なるを以て自ら言行習慣を異にし且当今一般流行する同県的好情の兆なきにしもあらざれども漸次旧状態を脱し新風習を生ずるに至れり。