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#来て見ると兵屋の中に炉が切ってあった。そのときは寒くなかったが、家の脇にまだ雪があった。木を切ることを知らなかったので、近所の人に教えてもらった。<br> | #来て見ると兵屋の中に炉が切ってあった。そのときは寒くなかったが、家の脇にまだ雪があった。木を切ることを知らなかったので、近所の人に教えてもらった。<br> | ||
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+ | [[Category:証言|屯田兵の証言]] |
2013年7月29日 (月) 17:28時点における版
目次 |
プロフィール
- 三沢 貫之助(明治27年5月入地 鳥取県出身 兵屋番号584番)
出典元
- 『江部乙町文化史』(1958年・昭和33年)< 昭和28(1953)年8月25日 江部乙町開町60年記念座談会の録音より抜粋
要旨
- 月給取りがきらいなので、弟とともに志願した。
- 着いてみると家の脇にまだ雪があった
証言内容
- 私の父は町長をしていたので、北海道に屯田兵制がしかれて募集があることが判り、私と弟の翼の二人が志願合格して移住した。私は月給取りはきらいであるので23歳のときに志願した。
- 来て見ると兵屋の中に炉が切ってあった。そのときは寒くなかったが、家の脇にまだ雪があった。木を切ることを知らなかったので、近所の人に教えてもらった。