「太田西野家行囊帳」の版間の差分
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西野家行嚢帳は、明治23年に山形県(旧新庄藩)から屯田兵として一家で太田へ入植した西野嘉太郎の弟要三郎が、皇紀2600年を記念して昭和15年に記した回想録である。 | 西野家行嚢帳は、明治23年に山形県(旧新庄藩)から屯田兵として一家で太田へ入植した西野嘉太郎の弟要三郎が、皇紀2600年を記念して昭和15年に記した回想録である。 | ||
2025年1月27日 (月) 23:28時点における最新版
西野家行嚢帳は、明治23年に山形県(旧新庄藩)から屯田兵として一家で太田へ入植した西野嘉太郎の弟要三郎が、皇紀2600年を記念して昭和15年に記した回想録である。
行嚢帳は、一枚の長い和紙の表と裏に記され、全102頁の折本となっている。広げた際には9メートルにも及ぶ。
内容は、長男の嘉太郎が18歳になったときに家督を継ぎ、父庄左衛門の強い勧めで屯田兵になったことから書き始められている。
50頁は絵日記風となっていて、屯田兵に応募して山形県を出発するときの様子や厚岸町に渡ってくる途中の出来事、太田村に着いてからの軍務や未開の原始林の開墾、生活の様子などが墨で事細かに描かれている。
絵のほとんどは、慣れない気候風土の中での厳しい役務のためか、つらさや苦しみを表現しているものが多く、当時の苦労がうかがえる。
屯田兵入植当時の様子を伝える数少ない貴重な資料として、昭和42年10月1日に厚岸町の有形文化財として指定を受けている。
なお、厚岸町太田屯田開拓記念館には、複製と解読文が展示されている。