北海道屯田倶楽部

特集

子思孫尊2-1

 



お問い合わせ 

屯田編集部  
 


  ルーツ探しの旅をエッセイに

   篠路屯田兵五世

      見延 典子 さん


 
見延さんはルーツ探しの一端を、ご自身が編集人を務める「頼山陽ネットワーク」公式ホームページに併設したブログに継続的に書き記し、これが新たな情報や人との出会いにもつながりました。その一人が、同じようにルーツ調査を進めていた徳島藩出身の篠路屯田兵・木内武治郞さんの子孫・木内由晴さん(大阪府在住・北海道屯田倶楽部会員)でした。祖先が加担した稲田騒動が北海道移住に関係したのではないかと考える木内さんとの間でメールの交換が始まり、やがて見延さんは、井川一族が稲田家の家来の家来に当たる「又者」であったことまで突き止めました。

 『私のルーツ』には、父方の系譜調査と併せて祖先とゆかりのある土地や人々を訪ね歩き、徐々に歴史に埋もれかけた疑問を解き明かしていく過程が、詳細に綴られています。時間軸では、約三百六十年前の明暦年間の記録に残る始祖までさかのぼります。調査地域は、日露戦争の激戦地で多くの屯田兵が死傷した旅順や大連、さらには茂三郎さんが北海道から移り住んだ樺太(現ロシア・サハリン州)へと広げられ、当時の祖先の思いや暮らしぶり、時代背景が浮き彫りにされていきます。


郷土資料館で祖先の姿を発見


 
かつての篠路兵村(札幌市北区屯田)に足を運び、屯田郷土資料館を訪ねた見延さんは、一枚の展示写真(四ページ)の前で思わず足を止めました。集合写真の列席者の説明欄に「井川平八」「井川兼吉」の名前を発見したのです。曾祖父・宇八さんから見て、平八さんは姉婿、兼吉さんは弟に当たります。二人の名前こそ知っていたものの、写真で見るのは初めてのことでした。資料館には、水害や泥炭と苦闘した篠路兵村の歴史に関する記録が数多く残されており、粘り強くこの地に根を伸ばし続けた祖先の姿を想像すると、胸が熱くなったそうです。

 ルーツを探る旅の最後に見延さんがたどり着いたのが、篠路屯田兵とその家族らが眠る屯田墓地でした。このときの感慨を、本書の末尾に次のように綴っています。

 「おそらくルーツ探しをしなければ辿りつけなかった墓所に、今、母菊枝と立っている。四国徳島の吉野川沿いの村から屯田兵として篠路兵村に渡り、島松、南樺太を経て、再びこの地に戻ってきた一家の足跡に思いを馳せた。根雪になりそうな札幌の雪が墓所の周囲をおおっていた」


ルーツ調査の実践的な参考書


 『私のルーツ』には、屯田兵の子孫という視点から見た屯田兵制度と北海道移住、さらには明治という時代の特質についての考察も織り込まれています。

 
特に、「明治の歴史は軍国化の歩みでもある。(中略)『近代化』と『軍国化』は表裏一体をなしている。『近代化」と『軍国化』を二つの車輪に日本は明治という時代を歩んでいくのである」という歴史観は、これからの屯田兵研究を進める上でも参考になりそうです。

 屯田兵制度の廃止(一九〇四年)から百十余年を経て、屯田兵の子孫は五世、六世の時代に入りました。北海道屯田倶楽部には、「初めてご先祖が屯田兵と知った」「どんな暮らしだったのか知りたい」といった問い合わせや相談が全国から寄せられ、近年はむしろ増加傾向にあります。

 時間の壁との戦いでもあるルーツ探しは、ますます難しくなってきていますが、メールやブログなどを通じて情報ネットワークを広げながら、徐々に核心に迫っていく「見延式調査法」には驚かされます。そうした意味で『私のルーツ』は、ルーツ探しの実践的な参考書としての一面もあるように思われます。

 見延さんが「なぜ」と初めに抱いたいくつかの疑問に対して、どのような解答が得られたのか―。「紀行エッセイ」と銘打ちながら、ミステリー小説を読み進むような楽しみもありますので、是非、本書を手に取って確かめてみてください。購入の際にご希望があれば、著者のサイン・落款入りの本をお届けするとのことです。

(記・梶田博昭)

 
sisi_631.html
1sisi_631.html

2