明治19年建築のアメリカンスタイル

明治20(1887)年の屯田兵入植の前年の建築。当時流行した米国風バルーンフレーム様式で、床面積は1階が42.5坪(約140㎡)、屋根裏の2階が36坪(約118㎡)。中隊長室、下士官集会所、下士官事務室、軍医室などからなっていた。
保存運動実り有形文化財に指定

戦後一時、取り壊しの運命にあったが、 地元町内会や屯田兵の子孫らが強く反対し、札幌市は昭和43(1968)年に復元工事に着手した。 昭和49(1974)年、市の有形文化財に指定され、以降、住民らによる新琴似中隊本部保存会が、保存管理に当たっている。
従軍、開墾の労苦しのばせる資料200点

屯田兵ゆかりの住民らから寄せられた日清、日露戦争の従軍記章や屯田兵手帳はじめ、さまざまな農具、生活用品などが展示されている。建物の前の広場で軍事訓練している様を再現したジオラマとともに、当時の様子がしのばれる。
みどころ

現存する中隊本部は、ここ新琴似と野幌(江別市)の2カ所だけ。野幌中隊本部の建築は2年早いが、両者は基本構造がそっくりな「双子」。ところが、細部のデザインや窓の構造などに微妙な違いが見られる。比較してみると、意外な発見があるかも知れない。

とりびあ
展示品の中でもひときわ目に付くのが、一番上の写真にある屯田兵の軍服。帽子の先に付いているのは、「前立(まえだて)」と呼ばれ、戦国武将の兜前面の前飾りと同じように、武人としての誇りや地位を象徴している。『陸軍服装全書』によると、この前立は佐官・尉官クラスのもので、将官になると一回り大きくなる。袖章は金銀線2本(条)なので、中尉の制服と分かる。1本なら少尉、3本は大尉で、佐官・将官クラスになると、1本ずつ線の数が増していく。大将ともなると7本に袖口に刺繍も加わる。
よりみち
中隊本部は新琴似神社の境内にあり、周囲の森は往時をしのばせ、13ある記念碑を巡りながら散策がおすすめ。南西にある安春川は、開墾のための排水溝として掘削された。今は、水辺のプロムナードが整備され、憩いの場となっている。


安春川と彫刻「夏の日」(新琴似4条5丁目) 「拓魂碑」(新琴似神社境内)