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[136] Re:[133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/10/05(Mon) 10:03  

大野様
返信ありがとうございます。ご連絡が遅くなり大変申し訳ありません。
昨夜、大野様にメールを送らせていただきましたのでご確認いただけますと幸いです。

> > 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
>  私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> > もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
>  10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
> >
> >


[135] 旭川屯田兵の子孫です 投稿者: 投稿日:2020/10/01(Thu) 00:20  

はじめまして。
私は旭川に入植した吉峰喜三郎、半蔵の兄弟の子孫であり、同じく旭川に入植した上原忠五郎の兄弟の子孫でもあります。
どちらも香川県からの入植です。

私は先祖を調べており、最近この掲示板を知り4年ほど前の書き込みですが吉峰喜三郎の子孫である方の書き込みを発見しました。
先日その書き込み主に連絡を取ったところ通じ、今も情報交換をしております。

もし同じ先祖を持つ方がいましたら情報を交換したいです。
直接メールでも構いません。
よろしくお願いいたします。


[134] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/29(Tue) 22:18  

 明治19年6月に東和田に入植した石川県出身の大野綏定の子孫です。
 根室市にある除籍謄本で高祖父の氏名しかわからず先祖調査も終わりかなと思っておりましたが、高祖父が屯田兵で石川士族であったことがわかり、金沢の加賀藩と関係がないか調べたところ、富田下総氏や本多政均氏の家来であったことがわかりました。
 金沢県立玉川図書館近世史料館に保管されていた先祖由緒並一類附帳という書類の中に大野綏定の父である綏之が安政4年に加賀藩本多家に提出した先祖由緒の史料がありました。
 これにより私から見て11世祖までの氏名と没年、檀家寺が判明しました。また、加賀本多博物館にある史料から綏定が大正時代に恩師に送った手紙も発見できましたので、10月14日に金沢市に行き、史料の原本やお寺などを訪問したいと思います。
 金沢市役所では明治40年以前の戸籍は処分されているので、石川県にいた時の住所は不明のままで、追跡不可能のようです。新たな情報等がありましたら投稿したいと思います。
 


[133] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/20(Sun) 13:40  

> 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
 私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
 10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
>
>


[132] Re:[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:山下幸太郎 投稿日:2020/09/11(Fri) 16:58  

> 投稿失礼いたします。
野付牛屯田兵は明治30年6月と明治31年の9月の2回に分けて入植しています。
   お調べの本 善吉と辻 新平、馬継 雅次郎は明治30年6月に、妻沼 鷹治は明治31年9月に入植しています。
   更に、本と辻は同じ1区、馬継と妻沼は3区ですのでそれぞれが近所であったことが分かります。
   また、入植した198名のうち山形県出身は23名、石川出身は29名、和歌山出身は6名になります。
   馬継と中田房次郎は同じ色川村の出身です。これは『屯田兵名簿』によります。
   資料を探しているという事ですが、『新北見市史』から調べてみてはいかがでしょうか。
   最近刊行された資料になります。北見市には坂本龍馬の甥にあたる坂本直寛も開拓に関わっています。
   4人の関係だけでなく新たな発見があるかも知れません。


[131] Re:[127] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:山下幸太郎 投稿日:2020/09/07(Mon) 21:54  

> 皆さん、はじめまして。
> 明治19年に北海道和田村に入植し東和田に配属された大野綏定(おおのやすさだ)の子孫です。
> つい最近根室市で綏定の除籍謄本を交付してもらい、屯田兵で石川県の士族出身であることがわかりましたが、石川県のどこの市町村出身であるかが不明であります。屯田兵名簿にも石川県としか表記されていません。綏定の母親は金沢市出身で父親の名前が綏之であることだけはわかるのですが、綏定の出身地を調べる方法がわからず、途方に暮れております。皆さんからのアドバイスを是非お願い致します。

拝見しました。大野綏定は明治19年6月に入植しているので幕末期の生まれと推察されます。
  その上で、なぜ北海道に渡ったかを考えた時、加賀藩家老本多政均が関係しているのではないかと
  思いました。出身地を知りたいとのことですが、まずはなぜ北海道に渡ったかを調べることから始めると
  いいと思われます。現時点での可能な回答になります。参考になれば幸いです。


[129] Re:[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:編集室 投稿日:2020/09/07(Mon) 16:28  

> そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?

北海道屯田倶楽部発行の『屯田兵名簿』では、以下の様に記述されています。

妻沼鷹治 山形県東村山郡明治村
本善吉  石川県能美郡里川村鶉川
辻新平  石川家能美郡長谷村
馬継雅次郎 和歌山県東牟婁郡色川村





[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/09/07(Mon) 15:54  

投稿失礼いたします。
私の先祖ではないのですが、彼氏の母方の先祖が北見方面でありついこの間戸籍請求した所、役所の火災によって明治19年式戸籍を請求することが出来ず、道外のどこから来たのかわからずじまいになっております。
そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?


[127] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/06(Sun) 15:00  

皆さん、はじめまして。
明治19年に北海道和田村に入植し東和田に配属された大野綏定(おおのやすさだ)の子孫です。
つい最近根室市で綏定の除籍謄本を交付してもらい、屯田兵で石川県の士族出身であることがわかりましたが、石川県のどこの市町村出身であるかが不明であります。屯田兵名簿にも石川県としか表記されていません。綏定の母親は金沢市出身で父親の名前が綏之であることだけはわかるのですが、綏定の出身地を調べる方法がわからず、途方に暮れております。皆さんからのアドバイスを是非お願い致します。


[126] Re:[125] [123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/07/01(Wed) 21:12  

返信ありがとうございます。

一已97番地の戸主は猪原憲一で、
記載があるのは、猪原(塚田)リウの2名だけです。

猪原(塚田)リウの父親は、塚田秀蔵で長女です。
ちなみに生年月日は、明治4年2月30日です。

あとは、一已の戸籍ではないのですが、
別の猪原(塚田)リウの戸籍の記入の中に、
塚田半次郎姉という説明がされている箇所があります。


[125] Re:[123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/30(Tue) 18:37  

[124]の続き

推測すると〜
同じ塚田姓の半次郎さん、秀蔵さん、りうさんは、兄弟姉妹の関係にあり、
りうさんが猪原姓の男性と結婚し、秀蔵さんの6男・憲一さんを猪原家の養子とした
猪原一家は屯田兵家族として一已に入ったが、何かの事情で転居した〜とみることもできそうです。

一已97番地の戸籍の戸主は、半次郎さんでしょうか。
その戸籍から、それぞれの人物の関係はわからないでしょうか。


[124] Re:[123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/30(Tue) 17:28  

1.塚田半次郎さんは明治5年生まれ、憲一さんは明治25年生まれ(当時としても、兄弟とはやや考えにくいように思われる)

2.憲一さんの子孫の情報として
憲一さんは養母の「猪原(旧姓・塚田)りう」さんとともに、香川県阿野郡から一已経由で道東に転籍した

3.憲一さんが塚田秀蔵さんの6男として生まれた



[123] Re:[122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/06/29(Mon) 22:48  

憲一の生年月日は、明治25年9月12日で、塚田秀蔵さんの六男として生まれています。

戸籍にはまさしく、一已村字一已97番地と記載されています。


[122] Re:[121] 屯田兵の家族として 投稿者:編集室 投稿日:2020/06/29(Mon) 10:41  

北海道屯田倶楽部刊行の「屯田兵名簿」によれば

1.半次郎氏は明治28年5月に香川県阿野郡鶴岡村から北一已に入地
2.明治5年3月7日生まれなので、当時23歳
3.孫として「繁雄」の名が記載されている

半次郎氏は兵屋番号97番で、当時の住所も一已村97番地と思われます。
お手元の戸籍簿には一已の住所がどのように記載されていますか。
憲一さんの生年月日から、半次郎・繁雄氏らと関係があるとすれば、どんな関係かある程度推測可能かも知れません。




[121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/06/29(Mon) 06:14  

私の曽祖父である猪原憲一は、三歳で一已に来ていることが戸籍でわかっている。また、一已以前の戸籍は廃棄されており、戸籍による調査ができない、

調べてみると、猪原憲一は一已屯田兵の塚田半次郎の弟にあたるようだが、確証が得られず、家系を調査することができなくなっている。

塚田半次郎の同居親族等、どんな資料でも構わないので塚田半次郎に関する資料が貴団体にあれば是非教えていただきたいと思います。



[120] 屯田兵住宅の屋根構造 投稿者:堀内正純 投稿日:2019/10/29(Tue) 12:04  

NPO法人日本外断熱協会の堀内と申します。11月8日に北大において北大大学院菊田研究室と共催で『札幌とドイツにおけるSDGsと建築断熱』セミナーを開催します!その際、講演を行うドイツ建築家ヴォルフガング・レーナート博士は、富岡製糸工場についてドイツで本を出しました。富岡製糸工場はフランス人技師の指導で構造(トラス)が作られました。このようなトラスが屯田兵住宅にも使用されているそうで、札幌近郊の屯田兵住宅見学を希望しています。江別と琴似の屯田兵住宅を見る予定ですが、前記について情報をお寄せください。

http://sotodan-jaei.org/


[119] 砺波から移民した話を聞きお尋ねします。 投稿者:上保 利 投稿日:2019/09/22(Sun) 13:10  

砺波から移民した先祖について、お尋ねします。
神奈川に住む、上保と申します。よろしくお願いします。
戸籍や除籍謄本をたどり、高祖父の名前(上保孫三郎 妻トメ)を知りました。
色々と先祖ルーツを探してましたら、富山県に遠い遠い親戚にたどり着きました。
その親戚の話によると、明治初期に.北海道の開拓に出たと聞き、調べております。
何か、手がかりがつかめればありがたいと思いコメントしてみました。
よろしくお願いします。


[118] Re:[117] [110] 木内の本家についての情報 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/08/23(Fri) 02:21  

戸籍・除籍謄本には、転籍前の徳島県何々郡何々等の詳細の情報が記載されています。村までの詳細の記述は、消されているかもしれませんが、周辺を探せば、見つかるはずです。

戸籍・除籍謄本は、役所でも保存年数がきまっており、経過してしまうと廃棄されてしまいますので、お早めに取得することをお勧め致します。


> 市役所で、木内武治郎 様 の戸籍を取得してみてはいかがでしょうか。
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>
> > 私は明治22年7月に篠路兵村に入植した木内武治郎の子孫です。
> > 入植以前に徳島藩と稲田藩の間で「稲田騒動」が起こたことは
> > ご存知の通りです。
> > 「屯田兵名簿」には徳島県と記載されているだけで、出身の村や町
> > に関する記載がないため、徳島藩なのか、稲田藩のなのかの判別
> > ができない状況です。
> > 私の推測ですが、出身の村や町に関する情報は本家に残ってい
> > るのではないかと推測しています。
> > お知り合いに木内姓の方がおられましたら、どのような情報でも
> > かまいませんので、情報をお寄せください。何卒 よろしくお願い
> > します。
> >


[117] Re:[110] 木内の本家についての情報 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/07/23(Tue) 09:30  

市役所で、木内武治郎 様 の戸籍を取得してみてはいかがでしょうか。





> 私は明治22年7月に篠路兵村に入植した木内武治郎の子孫です。
> 入植以前に徳島藩と稲田藩の間で「稲田騒動」が起こたことは
> ご存知の通りです。
> 「屯田兵名簿」には徳島県と記載されているだけで、出身の村や町
> に関する記載がないため、徳島藩なのか、稲田藩のなのかの判別
> ができない状況です。
> 私の推測ですが、出身の村や町に関する情報は本家に残ってい
> るのではないかと推測しています。
> お知り合いに木内姓の方がおられましたら、どのような情報でも
> かまいませんので、情報をお寄せください。何卒 よろしくお願い
> します。
>


[116] Re:[102] 祖父は屯田兵か・・・ 投稿者:荒井 勇雄 投稿日:2019/07/22(Mon) 22:34  

佐武 進 様

私、明治25年、富山県砺波から北海道の美唄(沼貝寺村)現進徳町に騎兵屯田兵として入植した荒井 喜一郎の子孫になるものです。祖父でございましょうか、佐武様のご入植されたかたのお名前はなんというのでしょうか?

岩見沢 に住んでいた、佐武 初蔵 氏という方がいらっしゃいまして、喜一郎の妹、キクと結婚し、 冨初さんという子を授かりました。冨初さんは、米国シアトル市にて、当時、住友銀行?の頭取をされ、優秀な方でした。

冨初さんのお子さんの一人が神奈川県の逗子に住んでいるとお伺いしておりますが連絡先はわかりません。


冨初さんのお墓は岩見沢にはあり、私の親戚が見ておりますが、墓盛りされていなく残念な状況です。当時は、富山県の同郷ということで婚姻関係を結ぶことが多かったようで、富山県砺波ということで、返信いたします。

佐武 様がお探しになっているかたであれば、幸いです。



> 初めてこのコーナーに、投稿させて頂きます。
> 故郷北海道を離れて丁初度50年に成る道産子です。昨年、兄達が祖父・母が入植時富山県から持込んだ仏壇のリフォームをした際に祖父が書いた征露日記(明治37年〜39年約90頁)を知り第7師団砲兵隊所属の出兵から帰還まで綴っていました。小生の父も母も富山県生まれですが18歳で上京した小生は祖父の事は遺影を見た事以外に何も知りませんでした。
> 社会人に成ってから先祖さんは武士かなと勝手に思っていました。ひょっとして屯田兵とも思い調べている内に、このコーナーを知り見せて頂きました。富山県砺波出身者の名簿には出ていなくて、屯田兵でなくても出兵されたのか父親も書けない毛筆の日記を何故書き残していたか謎が多く知りたくて投書致しました。
> 今度帰郷した際に勉強させて頂きたいので、屯田記念館を是非お尋ねさせて頂きます。よろしくお願い致します。


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