屯田掲示板
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[146] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:辻一朗 投稿日:2020/10/31(Sat) 11:29  

はじめまして。
こちらで目にしたお名前に少し心当たりがあり、
書き込ませていただきます。

辻新平さんの奥さん(ミナさん?)の旧姓が本です。
本善吉さんはミナさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
馬継雅次郎さんの奥さん(マツさん?)の旧姓が妻沼です。
妻沼鷹治さんはマツさん(?)の兄か弟ではないかと思われます。
辻新平さんの長男(誠智さん)と馬継雅次郎さんの長女(ミトリさん)が結婚しています。

以上は、私が父(辻聡=誠智とミトリの長男で現在89歳です)から聞いたことです。
こちらの趣旨から外れていましたら申し訳ありません。
ご参考まで。



[145] Re:[144] 屯田兵制度の制度設計 投稿者:編集室 投稿日:2020/10/23(Fri) 09:10  

「稲田家がおこなっていた片扶持制度」と屯田兵制度との関連について、大変興味深いご指摘ありがとうございます。
特に、荒城重男は、屯田兵副官として諸制度の整備や兵村の配置計画などで重要な役割を担った人物で、稲田、静内での経験が彼の思考のベースになっていたように感じられます。
屯田入植に当たっては、そのモデル的なケースとして仙台伊達家の開拓が注目されていますが、開拓使は静内稲田家の事例にも着目していたと考えられます。
そのあたりについては、当サイト収録の下記論考をご参照ください。

https://tonden.org/report_files/51_kyorei.pdf

今後とも情報交換させていただければ、ありがたいです。


[144] 屯田兵制度の制度設計 投稿者:タカタトモユキ 投稿日:2020/10/23(Fri) 08:43  

はじめまして突然失礼します
私は兵庫県の淡路島で郷土史を趣味にしているものですが
屯田兵の制度は江戸時代淡路島で徳島藩筆頭家老の稲田家がおこなっていた片扶持制度におもえてなりません。『北の零年』や『お登勢』でご存知の方も多いかもしれませんが、徳島藩の家老であった稲田家の家臣団は明治4年に静内に開拓移住しました。そして学問所の校長であった荒城重男は開拓使に採用され屯田兵の副官となり永山武四郎の側近となりました。江戸時代の徳島藩は他の藩と違って地方知行制という家老に土地と人民を任す制度であったため稲田家は開拓した土地を免税にしたりして少ない給与でも自活できるような制度をとり1400石で3000人の家臣がいました。荒城の実家の堀江家は稲田家の家事取り締まりの家で稲田家の会計を担っていました。そのため開拓や軍事にあたってはどれだけの費用が必要だとか計算できました。自身の静内での開拓の困難さを体験していますし尊王攘夷思想でロシアの侵略から国を守ろうという意識も強く実務能力もあり屯田兵制度の設計にあたっては淡路島で稲田家がとっていた武士としての身分を与え普段は農業や商業で自活して開拓にあたらせ、軍事教練など働いた時だけ片扶持として給与するという制度がとりいれられているようにおもえます。



[143] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/12(Mon) 20:31  

 東和田屯田兵であった私の先祖が西暦1550年頃から1900年頃

までの350年間、石川県金沢の加賀藩武士であったことがわか

りましたので、明後日に金沢を訪問し、檀家寺や野田山墓地、

近世史料館、県立図書館、加賀本多博物館、金沢能楽美術館

で先祖に関わる史料を探してきます。

 現地に行って新たに分かったことなどがありましたら、お

知らせします。



[142] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/08(Thu) 23:16  

◆ 妻沼さんの子孫に関係があるかもしれない情報です。

 北見市の北光社に昭和21年に入植した人で妻沼忠一という方がいます。
 北見市南丘に住んでいました。住宅位置もある程度わかります。
 昭和36年に根釧パイロットファームに転出し、同地で永年組合長を勤
める。という記録がありました。(「北光社開拓九十年のあゆみ」北光開基
九十年記念事業協賛会P183より)
 
 根釧地域の酪農をめぐる動向  専任研究員 平田郁人 資料から
 1956〜64年 根釧パイロットファーム事業により,約5千haを 開墾,
約360戸が別海町に入植。
 
「根釧パイロットファーム開拓史」という図書があります。
根釧パイロットファーム開拓農業協同組合 組合長理事 妻沼忠一氏

 この妻沼忠一さんの子孫の方がわかれば、中野付牛に屯田兵で入植した
妻沼鷹治さんとの関係がわかると思います。別海町農協に相談してはいか
がでしょうか。


◆ 本さんの子孫に関係があるかもしれない情報です。

 私の同僚で、北見市でハイヤー運転手を長年勤めた人から、本さんの
子孫であるかも知れないという情報がありました。
 十数年程前まで北見日赤病院近くのアパートに親子で住んでいた本(もと)
さん親子の知人で、本さんの母親が先祖は屯田兵だったという話をしていた
ということを覚えていました。
 本さんは北見市から転出してしまったようで、転出後は連絡取れていない
とのことです。当時、息子さんが勤めていた会社もわかります。
 興信所に相談したら本さんの氏名や行方を調査できるかも知れません。
 北見市で本さんが通った学校の同級生や先生との繋がりがあるかも知れま
せん。
 
 

> > そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?
>
> 北海道屯田倶楽部発行の『屯田兵名簿』では、以下の様に記述されています。
>
> 妻沼鷹治 山形県東村山郡明治村
> 本善吉  石川県能美郡里川村鶉川
> 辻新平  石川家能美郡長谷村
> 馬継雅次郎 和歌山県東牟婁郡色川村
>
>
>


[141] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/06(Tue) 14:59  

北見市図書館において、辻さんと本さんの屯田兵時代の様子が
書かれた図書を見つけました。また、辻さんの白黒写真も掲載
されています。
詳しくはメールでお知らせします。




> 大野様
> 返信ありがとうございます。ご連絡が遅くなり大変申し訳ありません。
> 昨夜、大野様にメールを送らせていただきましたのでご確認いただけますと幸いです。
>
> > > 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
> >  私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> > > もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
> >  10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
> > >
> > >


[140] 西和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 16:02  

 明治21年7月に鳥取県から和田村(現在の根室市)の西屯田兵村に入植した松本彦五郎は、私の母方高祖父になりますが、出身市町村がわからない中でも鳥取県立博物館の学芸員にご相談しましたところ、彦五郎の父(松本喜平)と母(荒川フミ、三右衛門の長女)の情報から鳥取藩士で同性同名の方がいました。
 鳥取県立博物館では藩士家譜や家老日記をデジタルデータ化しており、そのデータを購入することもできます。
 それにより、松本家の家譜で13世祖、荒川家の家譜で11世祖の氏名と家老日記からどんな役職についていたかがわかりました。
 家譜に書かれている文字は筆字行書の漢字だけの情報なので、解読できない部分もあります。
 なお、松本彦五郎は安政6年生まれですが、家譜を提出した明治3年時点で戸主になっていませんので、彦五郎の父である喜平の名前がわからなければ、藩士名と一致しないことから、明治3年以前の戸主の名前が判明することがポイントになりそうです。
 また、荒川フミの父は三右衛門ですが、明治2年に提出された家譜の提出者はフミの兄弟であると思われる貞清でした。学芸員の方が貞清の父親が三右衛門だということを家譜で調べてくれたので、フミとの関係が判明し先祖であることが判明しました。
 さらに、除籍謄本の間違いも発見できました。戸主名欄は松本喜平でしたが、続柄欄は喜市になっていたからです。届出の時に戸籍係が間違って記入していたことも判明しました。
 鳥取藩士であると思われる方は、是非、鳥取県立博物館の学芸員にご相談されることをお勧めします。


[139] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 13:20  

 加賀藩士人別帳(幕末由緒書目録)から

 同性同名の加賀藩士の情報です。その他の情報はメールします。
 
 辻 新平
 西暦1808年文化5年 生まれ
 明治3年62歳 明治30年89歳


[138] Re:[136] [133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/10/05(Mon) 12:47  

 加賀藩士人別帳(幕末由緒書目録)に辻 新平さんと同性同名の
藩士の情報がありましたので、情報をご確認願います。
 


[137] Re:[132] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/10/05(Mon) 11:22  

山下様
返信が遅くなり大変申し訳ございません。
貴重な情報ありがとう存じます。
大学にてOPACで検索したところ当大学で蔵書しているようなので確認してみたいと思います。


> > 投稿失礼いたします。
> 野付牛屯田兵は明治30年6月と明治31年の9月の2回に分けて入植しています。
>    お調べの本 善吉と辻 新平、馬継 雅次郎は明治30年6月に、妻沼 鷹治は明治31年9月に入植しています。
>    更に、本と辻は同じ1区、馬継と妻沼は3区ですのでそれぞれが近所であったことが分かります。
>    また、入植した198名のうち山形県出身は23名、石川出身は29名、和歌山出身は6名になります。
>    馬継と中田房次郎は同じ色川村の出身です。これは『屯田兵名簿』によります。
>    資料を探しているという事ですが、『新北見市史』から調べてみてはいかがでしょうか。
>    最近刊行された資料になります。北見市には坂本龍馬の甥にあたる坂本直寛も開拓に関わっています。
>    4人の関係だけでなく新たな発見があるかも知れません。


[136] Re:[133] [129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/10/05(Mon) 10:03  

大野様
返信ありがとうございます。ご連絡が遅くなり大変申し訳ありません。
昨夜、大野様にメールを送らせていただきましたのでご確認いただけますと幸いです。

> > 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
>  私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> > もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
>  10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
> >
> >


[135] 旭川屯田兵の子孫です 投稿者: 投稿日:2020/10/01(Thu) 00:20  

はじめまして。
私は旭川に入植した吉峰喜三郎、半蔵の兄弟の子孫であり、同じく旭川に入植した上原忠五郎の兄弟の子孫でもあります。
どちらも香川県からの入植です。

私は先祖を調べており、最近この掲示板を知り4年ほど前の書き込みですが吉峰喜三郎の子孫である方の書き込みを発見しました。
先日その書き込み主に連絡を取ったところ通じ、今も情報交換をしております。

もし同じ先祖を持つ方がいましたら情報を交換したいです。
直接メールでも構いません。
よろしくお願いいたします。


[134] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/29(Tue) 22:18  

 明治19年6月に東和田に入植した石川県出身の大野綏定の子孫です。
 根室市にある除籍謄本で高祖父の氏名しかわからず先祖調査も終わりかなと思っておりましたが、高祖父が屯田兵で石川士族であったことがわかり、金沢の加賀藩と関係がないか調べたところ、富田下総氏や本多政均氏の家来であったことがわかりました。
 金沢県立玉川図書館近世史料館に保管されていた先祖由緒並一類附帳という書類の中に大野綏定の父である綏之が安政4年に加賀藩本多家に提出した先祖由緒の史料がありました。
 これにより私から見て11世祖までの氏名と没年、檀家寺が判明しました。また、加賀本多博物館にある史料から綏定が大正時代に恩師に送った手紙も発見できましたので、10月14日に金沢市に行き、史料の原本やお寺などを訪問したいと思います。
 金沢市役所では明治40年以前の戸籍は処分されているので、石川県にいた時の住所は不明のままで、追跡不可能のようです。新たな情報等がありましたら投稿したいと思います。
 


[133] Re:[129] [128] 野付牛屯田兵について 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/20(Sun) 13:40  

> 「辻 新平」様と「本 善吉」様の2名の方は石川県出身ですので、藩士であれば侍帳などの史料から何らかの手がかりを調べることができます。
 私の曾祖父も石川県加賀藩の藩士で東和田村に入植したので金沢にある加賀藩の史料を探して、私から見て五世祖の氏名や禄高、檀家寺までわかりました。
> もし、よろしければ、「辻 新平」様と「本 善吉」様の父上の名前を教えていただければ、加賀藩の史料を探してみますがいかがでしょうか。
 10月か11月に金沢市を訪問して、市役所や近世史料館、檀家寺を回る予定ですので、現地調査も可能です。
>
>


[132] Re:[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:山下幸太郎 投稿日:2020/09/11(Fri) 16:58  

> 投稿失礼いたします。
野付牛屯田兵は明治30年6月と明治31年の9月の2回に分けて入植しています。
   お調べの本 善吉と辻 新平、馬継 雅次郎は明治30年6月に、妻沼 鷹治は明治31年9月に入植しています。
   更に、本と辻は同じ1区、馬継と妻沼は3区ですのでそれぞれが近所であったことが分かります。
   また、入植した198名のうち山形県出身は23名、石川出身は29名、和歌山出身は6名になります。
   馬継と中田房次郎は同じ色川村の出身です。これは『屯田兵名簿』によります。
   資料を探しているという事ですが、『新北見市史』から調べてみてはいかがでしょうか。
   最近刊行された資料になります。北見市には坂本龍馬の甥にあたる坂本直寛も開拓に関わっています。
   4人の関係だけでなく新たな発見があるかも知れません。


[131] Re:[127] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:山下幸太郎 投稿日:2020/09/07(Mon) 21:54  

> 皆さん、はじめまして。
> 明治19年に北海道和田村に入植し東和田に配属された大野綏定(おおのやすさだ)の子孫です。
> つい最近根室市で綏定の除籍謄本を交付してもらい、屯田兵で石川県の士族出身であることがわかりましたが、石川県のどこの市町村出身であるかが不明であります。屯田兵名簿にも石川県としか表記されていません。綏定の母親は金沢市出身で父親の名前が綏之であることだけはわかるのですが、綏定の出身地を調べる方法がわからず、途方に暮れております。皆さんからのアドバイスを是非お願い致します。

拝見しました。大野綏定は明治19年6月に入植しているので幕末期の生まれと推察されます。
  その上で、なぜ北海道に渡ったかを考えた時、加賀藩家老本多政均が関係しているのではないかと
  思いました。出身地を知りたいとのことですが、まずはなぜ北海道に渡ったかを調べることから始めると
  いいと思われます。現時点での可能な回答になります。参考になれば幸いです。


[129] Re:[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:編集室 投稿日:2020/09/07(Mon) 16:28  

> そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?

北海道屯田倶楽部発行の『屯田兵名簿』では、以下の様に記述されています。

妻沼鷹治 山形県東村山郡明治村
本善吉  石川県能美郡里川村鶉川
辻新平  石川家能美郡長谷村
馬継雅次郎 和歌山県東牟婁郡色川村





[128] 野付牛屯田兵について 投稿者:輪廻 投稿日:2020/09/07(Mon) 15:54  

投稿失礼いたします。
私の先祖ではないのですが、彼氏の母方の先祖が北見方面でありついこの間戸籍請求した所、役所の火災によって明治19年式戸籍を請求することが出来ず、道外のどこから来たのかわからずじまいになっております。
そこで野付牛の屯田兵名簿に該当する「辻 新平」「馬継 雅二郎」「妻沼 鷹治」「本 善吉」の4名なんですが名簿に記載があったので県と郡はわかったのですが村までの本籍地がわからず…どうにか知りたいのですがそういって資料って残ってないのでしょうか?


[127] 東和田屯田兵の子孫です 投稿者:大野良弘 投稿日:2020/09/06(Sun) 15:00  

皆さん、はじめまして。
明治19年に北海道和田村に入植し東和田に配属された大野綏定(おおのやすさだ)の子孫です。
つい最近根室市で綏定の除籍謄本を交付してもらい、屯田兵で石川県の士族出身であることがわかりましたが、石川県のどこの市町村出身であるかが不明であります。屯田兵名簿にも石川県としか表記されていません。綏定の母親は金沢市出身で父親の名前が綏之であることだけはわかるのですが、綏定の出身地を調べる方法がわからず、途方に暮れております。皆さんからのアドバイスを是非お願い致します。


[126] Re:[125] [123] [122] [121] 屯田兵の家族として 投稿者:一已から道東へ 投稿日:2020/07/01(Wed) 21:12  

返信ありがとうございます。

一已97番地の戸主は猪原憲一で、
記載があるのは、猪原(塚田)リウの2名だけです。

猪原(塚田)リウの父親は、塚田秀蔵で長女です。
ちなみに生年月日は、明治4年2月30日です。

あとは、一已の戸籍ではないのですが、
別の猪原(塚田)リウの戸籍の記入の中に、
塚田半次郎姉という説明がされている箇所があります。


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